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闘魂伝説 |
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」
まさにこの言葉は、猪木イズムそのものであり、
猪木の戦い原点である
妥協なき猪木のプロレスは、
我々に多くの感動を与え、
我々は多くのエネルギーを貰ったのだ。
戦いの歴史 | ||
1968 若獅子Vs全米の強豪 | ||
1973 NWFヘビー級選手権 | ||
1973 最強タッグ列伝 | ||
1974 伝説の日本人対決 | ||
1976 格闘技世界一 | ||
1977 最強外人列伝 | ||
1979 欧州世界選手権 | ||
1980 IWGPリーグ戦 | ||
1990 猪木引退ロード | ||
2022 猪木死去 | ||
日本プロレスのシングル名勝負 (一部東京プロレス) |
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1967.01.10 |
福岡九電 記念体育館 |
〇アントニオ猪木 |
@グラハム(足4の字固め3分0秒) A猪木(アバラ折り5分20秒) B猪木(体固め3分45秒) |
×エディ・グラハム | USヘビー級選手権 | 東京プロレス |
1967.01.30 | 横浜文化体育館 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(反則勝ち16分7秒) A猪木(体固め5分15秒) |
×ジョニー・バレンタイン | USヘビー級選手権 | 東京プロレス |
1967.10.02 | 能代市体育館 | ×アントニオ猪木 |
13分40秒 片エビ固め |
〇ビル・ワット | 日本プロレス | |
1967.11.10 | 後楽園ホール | 〇アントニオ猪木 |
@リベラ(体固め9分16秒) A猪木(体固め3分48秒) B猪木(リングアウト1分3秒) |
×ビクター・リベラ | 日本プロレス | |
1967.11.21 | 須崎市民会館 | 〇アントニオ猪木 |
12分46秒 アバラ折り |
×ジャック・ブリスコ | 日本プロレス | |
1968.01.19 | 後楽園ホール | △アントニオ猪木 |
@リソワスキー(体固め4分57秒) A猪木(アバラ折り4分2秒) B両者リングアウト2分19秒 |
△クラッシャー・リソワスキー | 日本プロレス | |
1968.04.12 | 札幌中島スポーツセンター | 〇アントニオ猪木 |
11分16秒 アバラ折り |
×ドン・デヌーチ | 日本プロレス | |
1968.04.20 | 福島県体育館 | △アントニオ猪木 |
@コワルスキー(体固め22分51秒) A猪木(アバラ折り13分5秒) B時間切れ引分け |
△キラー・コワルスキー | 日本プロレス | |
1968.04.24 | 大田区体育館 | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト4分34秒 | △フレッド・ブラッシー | 日本プロレス | |
1968.05.01 | 姫路市厚生会館 | 〇アントニオ猪木 | アバラ折り9分46秒 | ×パット・パターソン | ワールドリーグ戦 | 日本プロレス |
1968.05.30 | 橿原体育館 | △アントニオ猪木 |
@猪木(アバラ折り19分32秒) Aハリケーン(体固め11分20秒) B時間切れ引分け |
△カリプス・ハリケーン | 日本プロレス | |
1968.10.19 | 〇アントニオ猪木 | 反則勝ち10分5秒 | ×キラー・カール・コックス | 日本プロレス | ||
1968.11.06 |
平塚市見付 台体育館 |
〇アントニオ猪木 | アバラ折り11分7秒 | ×マッドドッグ・バション | 日本プロレス | |
1968.11.15 | 後楽園ホール | 〇アントニオ猪木 |
@両者リングアウト4分58秒 A猪木(反則勝ち2分45秒) |
×ブルート・バーナード | 日本プロレス | |
1968.11.29 |
室蘭市 富士鉄健保 体育館 |
×アントニオ猪木 | 体固め25分35秒 | 〇ジン・キニスキー | 日本プロレス | |
1968.12.27 | 後楽園ホール | △アントニオ猪木 | 時間切れ引き分け | △ウイルバー・スナイダー | 日本プロレス | |
1969.01.11 |
大阪府立 体育会館 |
△アントニオ猪木 | 両者リングアウト14分25秒 | △ダニー・ホッジ | 日本プロレス | |
1969.03.03 |
横浜文化 体育館 |
×アントニオ猪木 |
@デストロイヤー(体固め20分36秒) A猪木(アバラ折り2分14秒) Bデストロイヤー(体固め4分59秒) |
〇ザ・デストロイヤー | 日本プロレス | |
1969.04.05 | 蔵前国技館 | ×アントニオ猪木 | 体固め21分34秒 | 〇ボボ・ブラジル | ワールドリーグ戦 | 日本プロレス |
1969.04.16 |
大阪府立 体育会館 |
〇アントニオ猪木 | エビ固め12分2秒 | ×ゴリラ・モンスーン | ワールドリーグ戦 | 日本プロレス |
1969.05.16 | 東京体育館 | 〇アントニオ猪木 | 卍固め17分45秒 | ×クリス・マルコフ |
ワールドリーグ 優勝戦 |
日本プロレス |
1969.05.21 | 香港 | △アントニオ猪木 | 時間切れ引き分け | △カール・ゴッチ | 日本プロレス | |
1969.06.10 | 八戸市体育館 | 〇アントニオ猪木 | アバラ折り14分34秒 | ×クルト・フォン・ストロハイム | 日本プロレス | |
1969.08.24 |
古川市駅前 広場特設リング |
△アントニオ猪木 | 両者リングアウト16分21秒 | △ザ・ブッチャー | 日本プロレス | |
1969.10.29 |
和歌山県立 体育館 |
×アントニオ猪木 | 反則勝ち12分11秒 | 〇バディ・オースチン | 日本プロレス | |
1969.12.02 |
大阪府立 体育会館 |
△アントニオ猪木 | 時間切れ引き分け | △ドリー・ファンク・ジュニア |
NWA世界ヘビー級 選手権 |
日本プロレス |
1970.03.05 | 刈谷市体育館 | △アントニオ猪木 |
@エリック(体固め21分14秒) A猪木(逆さ押さえ込み15分10秒) B両者リングアウト5分16秒 |
△フリッツ・フォン・エリック | 日本プロレス | |
1970.04.29 |
神戸市王子 体育館 |
〇アントニオ猪木 | アバラ折り13分13秒 | ×ネルソン・ロイヤル | 日本プロレス | |
1970.05.11 |
小倉区 三萩野体育館 |
△アントニオ猪木 |
@ジョナサン(体固め17分7秒) A猪木(片エビ固め6分16秒) B両者リングアウト7分33秒 |
△ドン・レオ・ジョナサン | 日本プロレス | |
1970.07.28 |
横浜文化 体育館 |
〇アントニオ猪木 |
@テリー(体固め11分0秒) A猪木(体固め4分5秒) B猪木(反則勝ち4分16秒) |
×テリー・ファンク | 日本プロレス | |
1970.08.02 |
福岡スポーツ センター |
△アントニオ猪木 |
@ドリー(体固め30分38秒) A猪木(原爆固め7分4秒) B時間切れ引き分け |
△ドリー・ファンク・ジュニア |
NWA世界ヘビー級 選手権 |
日本プロレス |
1970.10.04 |
本渡市民 センター |
〇アントニオ猪木 | アバラ折り14分43秒 | ×ニック・ボックウィンクル | 日本プロレス | |
1970.10.23 | 駿府会館 | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト5分16秒 | △アーニー・ラッド | 日本プロレス | |
1971.03.06 |
群馬県 スポーツセンター |
〇アントニオ猪木 |
@マスカラス(片エビ固め14分19秒) A猪木(アバラ折り4分13秒) B猪木(リングアウト5分3秒) |
×ミル・マスカラス | 日本プロレス | |
1971.03.08 |
横浜文化 体育館 |
〇アントニオ猪木 |
@両者リングアウト2分26秒 A猪木(体固め3分53秒) |
〇スパイロス・アリオン | 日本プロレス | |
1971.03.26 | 米国 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(アバラ折り17分25秒) Aトロス(体固め11分48秒) B猪木(体固め6分30秒) |
×ジョン・トロス | UNヘビー級選手権 | 日本プロレス |
1971.04.14 | 富山市体育館 | 〇アントニオ猪木 | アバラ折り5分3秒 | ×ジョー・レダック | ワールドリーグ戦 | 日本プロレス |
1973年8月3日
1977年8月29日
NWFヘビー級選手権 | |||||
1973年12月10日 | 東京体育館 | 第14代 王者獲得 |
×ジョニー・パワーズ |
@猪木(20分26秒 コブラツイスト)パワーズ Aパワーズ(5分49秒 8の字固め)猪木 3猪木(5分10秒 卍固め)パワーズ |
〇アントニオ猪木 |
1974年3月19日 | 蔵前国技館 | 初防衛 | 〇アントニオ猪木 | 29分30秒 原爆固め |
×ストロング小林 |
1974年3月21日 | 米国 オハイオ州 クリーブランド スポーツ アリーナ |
2 | △アントニオ猪木 |
@(515分17秒 両者カウントアウト) Aラッド(5分17秒 体固め)猪木 B猪木(8分16秒 体固め)ラッド |
△アーニー・ラッド |
1974年6月20日 | 蔵前国技館 | 3 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(20分51秒 卍固め)シン A猪木(1分21秒 反則)シン |
×タイガー・ジェット・シン |
1974年6月26日 | 大阪府立体育会館 | 4 | 〇アントニオ猪木 |
@(11分25秒 両者リングアウト) A猪木(9分46秒 レフェリーストップ)シン |
×タイガー・ジェット・シン |
1974年7月30日 | 名古屋市吹上ホール | 5 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(8分28秒 コブラツイスト)パワーズ Aパワーズ(5分35秒 8の字固め)猪木 B猪木(4分25秒 反則)パワーズ |
×ジョニー・パワーズ |
1974年10月10日 | 蔵前国技館 | 6 | 〇アントニオ猪木 | 13分13秒 体固め | ×大木金太郎 |
1974年11月 1日 | 札幌中島スポーツセンター | 7 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(17分5秒 体固め)ラッド Aラッド(7分42秒 体固め)猪木 B猪木(10分26秒 弓矢固め)ラッド |
×アーニー・ラッド |
1974年12月12日 | 蔵前国技館 | 8 | 〇アントニオ猪木 | 28分27秒 卍固め |
×ストロング小林 |
1974年12月15日 | ブラジル サンパウロ コリンチャン スタジアム |
9 | △アントニオ猪木 | 19分31秒 両者リングアウト |
△アンドレ・ザ・ジャイアント |
NWF本部から、タイガージェットシン挑戦を受けるように要請 猪木は、この要請を拒否し、一旦王座返上 |
|||||
1975年3月13日 | 広島県立体育館 | 王座決定戦 | 〇タイガー・ジェット・シン | 19分24秒 体固め |
×アントニオ猪木 |
1975年3月20日 | 蔵前国技館 | シン初防衛 | △タイガー・ジェット・シン | 19分1秒 両者リングアウト |
△アントニオ猪木 |
1975年5月19日 | カナダ・ケベック州モントリオール・ポール・サウペ・アリーン | 王座移動なし | ×タイガー・ジェット・シン |
@猪木(7分18秒 逆さ押さえ込み)シン Aシン(5分11秒 体固め)猪木 B猪木(3分47秒 反則)シン |
〇アントニオ猪木 |
1975年6月26日 | 蔵前国技館 | 第16代王者 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(10分41秒 回転足折り固め)シン Aシン(2分47秒 アルゼンチン式背骨折り)猪木 3猪木(4分23秒 体固め)シン |
×タイガー・ジェット・シン |
1975年10月9日 | 蔵前国技館 | 初防衛 | 〇アントニオ猪木 | 17分40秒 岩石落とし固め |
×ルー・テーズ |
1975年12月11日 | 蔵前国技館 | 2 | △アントニオ猪木 |
@ロビンソン(42分53秒 逆さ押さえ込み)猪木 A猪木(16分19秒 卍固め)ロビンソン B時間切れ引き分け |
△ビル・ロビンソン |
1976年3月18日 | 蔵前国技館 | 3 | 〇アントニオ猪木 |
@(18分23秒 両者リングアウト) A猪木(5分3秒 卍固め)パワーズ |
×ジョニー・パワーズ |
1976年8月5日 | 蔵前国技館 | 4 | △アントニオ猪木 | 12分43秒 両者リングアウト |
△タイガー・ジェット・シン |
1976年10月10日 | 韓国ソウル 奨忠体育館 |
5 | 〇アントニオ猪木 | 18分3秒 リングアウト |
×パク・ソン |
1976年12月2日 | 大阪府立体育会館 | 6 | 〇アントニオ猪木 | 17分30秒 逆さ押さえ込み |
×イワン・コロフ |
1977年2月10日 | 日本武道館 | 7 | 〇アントニオ猪木 | 22分55秒 レフェリーストップ |
×タイガー・ジェット・シン |
1977年3月31日 | 蔵前国技館 | 8 | 〇アントニオ猪木 | 20分33秒 体固め |
×ジョニー・パワーズ |
1977年6月1日 | 愛知県体育館 | 9 | △アントニオ猪木 | 23分14秒 両者リングアウト |
△アンドレ・ザ・ジャイアント |
1977年9月2日 | 愛知県体育館 | 10 | 〇アントニオ猪木 | 25分13秒 体固め |
×スタン・ハンセン |
1977年12月1日 | 大阪府立体育会館 | 11 | 〇アントニオ猪木 | 24分1秒 卍固め |
×パット・パターソン |
1978年2月3日 | 札幌中島 スポーツセンター |
12 | 〇アントニオ猪木 | 21分23秒 リングアウト |
×タイガー・ジェット・シン |
1978年3月30日 | 蔵前国技館 | 13 | 〇アントニオ猪木 | 24分58秒 卍固め |
×マスクド・スーパースター |
1978年6月1日 | 日本武道館 | 14 WWWFヘビー級 ダブルタイトル戦 |
〇アントニオ猪木 |
@猪木(40分8秒 リングアウト)バックランド A時間切れ引き分け |
×ボブ・バックランド |
1978年7月24日 | 広島県立体育館 | 15 | 〇アントニオ猪木 | 22分34秒 逆さ押さえ込み |
×ペドロ・モラレス |
1978年9月21日 | 品川プリンスホテル ゴールドホール |
16 | 〇アントニオ猪木 | 25分37秒 体固め |
×タイガー・ジェット・シン |
1978年11月1日 | 愛知県体育館 | 17 | 〇アントニオ猪木 | 11分41秒 卍固め |
×クリス・マルコフ |
1979年1月12日 | 川崎市体育館 | 18 | 〇アントニオ猪木 | 27分2秒 反則 |
×ボブ・ループ |
1979年4月5日 | 東京体育館 | 19 | 〇アントニオ猪木 | 20分26秒 体固め |
×タイガー・ジェット・シン |
1979年4月17日 | 米国 ペンシルバニア州 アグリカルチャー・ホール |
20 | 〇アントニオ猪木 | 10分11秒 弓矢固め |
×ニコリ・ボルコフ |
1979年4月22日 | メキシコ カミノス |
21 | 〇アントニオ猪木 |
@猪木(11分40秒 反則)カネック A猪木(7分50秒 体固め)カネック |
×エル・カネック |
1979年5月10日 | 福岡スポーツセンター | 22 | 〇アントニオ猪木 | 16分49秒 首固め |
×ジャック・ブリスコ |
1979年8月2日 | 品川プリンスホテル ゴールドホール |
― | アントニオ猪木 | 17分59秒 ノーコンテスト |
タイガー・ジェット・シン |
1979年8月10日 | 米国 カリフォルニア州 オーデトリアム |
23 | △アントニオ猪木 | 7分3秒 両者リングアウト |
△タイガー・ジェット・シン |
1979年8月17日 | カナダ カルガリー スタンピート・グラウンド |
24 | 〇アントニオ猪木 | 9分15秒 体固め |
×スタン・ハンセン |
1979年10月4日 | 蔵前国技館 | ― | アントニオ猪木 | 22秒 ノーコンテスト |
タイガー・ジェット・シン |
1979年11月1日 | 札幌中島 スポーツセンター |
25 | 〇アントニオ猪木 | 17分1秒 反則 |
×ダスティ・ローデス |
1979年12月4日 | 大阪府立体育会館 | 26 | 〇アントニオ猪木 | 8分29秒 体固め |
×ペドロ・モラレス |
1979年12月17日 | 米国 ニューヨーク州 MSG |
27 | 〇アントニオ猪木 | 14分59秒 体固め |
×グレート・ハッサン・アラブ |
1980年2月8日 | 東京体育館 | 28 | 〇スタン・ハンセン | 17分12秒 リングアウト |
×アントニオ猪木 |
1980年4月3日 | 蔵前国技館 | 第18代王者 | 〇アントニオ猪木 | 12分55秒 体固め |
×スタン・ハンセン |
1980年5月9日 | 福岡スポーツセンター | 初防衛 | 〇アントニオ猪木 | 17分3秒 反則 |
×スタン・ハンセン |
1980年8月9日 | 米国 ニューヨーク州 シェアスタジアム |
2 | 〇アントニオ猪木 | 9分41秒 体固め |
×ラリー・シャープ |
1980年9月11日 | 大阪府立体育会館 | 3 | 〇アントニオ猪木 | 17分47秒 リングアウト |
×スタン・ハンセン |
1980年9月25日 | 広島県立体育館 | 4 | 〇アントニオ猪木 | 49秒 逆さ押さえ込み |
×スタン・ハンセン |
1980年9月30日 | 日本武道館 | 5 | 〇アントニオ猪木 | 14分53秒 卍固め |
×ケン・パテラ |
1980年11月3日 | 蔵前国技館 | 6 | 〇アントニオ猪木 | 13分19秒 体固め |
×ハルク・ホーガン |
1980年12月29日 | 米国 ニューヨーク州 MSG |
7 | 〇アントニオ猪木 | 12分47秒 体固め |
×ボビー・ダンカン |
1981年2月4日 | 大阪府立体育会館 | 8 | 〇アントニオ猪木 | 12分37秒 体固め |
×ケン・パテラ |
1981年4月17日 | 鹿児島県立体育館 | コミッション 預かり |
アントニオ猪木 | 13分24秒 没収試合 |
スタン・ハンセン |
1981年4月23日 | 蔵前国技館 | 第19代王者 | 〇アントニオ猪木 | 12分56秒 体固め |
×スタン・ハンセン |
1981年
IWGP構想にて、猪木はベルトを返上
猪木は連続27回、計40回以上の防衛に成功
ベトルは、そのまま自然消滅
2003年
NWFベルト復活トーナメントで高山善廣が王者となり7度の防衛に成功するも、
中邑真輔のIWGPとのダブルタイル戦に敗れて王座は再び封印となった。
ドリーム? 最強? タッグ戦線 |
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1973年10月14日 | 蔵前国技館 | アントニオ猪木 坂口征二 |
@テーズ(体固め1)坂口 A坂口(体固め)テーズ B猪木(ジャパニーズレッグロール)ゴッチ |
ルーテーズ カールゴッチ |
世界最強タッグ戦 |
1979年8月26日 | 日本武道館 | 〇アントニオ猪木 ジャイアント馬場 |
13分3秒 逆さ押さえ込み |
アブドーラ・ザ・ブッチャー ×タイガー・ジェット・シン |
夢のオールスター戦 |
1980年12月10日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 ボブ・バックランド |
17分35秒 逆さ押え込み |
スタンハンセン ×ハルクホーガン |
第1回 MSGタッグ・リーグ戦 優勝決定戦 |
1981年5月 | アントニオ猪木 ダスティーローデス |
3分42秒 無効試合 |
スタンハンセン ハルクホーガン |
MSGシリーズ | |
1981年6月24日 | 蔵前国技館 | アントニオ猪木 ×谷津嘉章 |
@ハンセン(体固め)谷津 A日本組(反則)外人組 B外人組(反則)日本組 |
スタンハンセン アブトーラザブッチャー |
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1981年12月8日 | 蔵前国技館 | アントニオ猪木 ×藤波辰巳 |
12分39秒 体固め |
スタンハンセン 〇ローランボック |
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1982年12月10日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 ハルクホーガン |
31分17秒 卍固め |
キラーカーン ×タイガー戸口 |
第3回 MSGタッグ・リーグ戦 |
1983年12月8日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 ハルクホーガン |
11分10秒 体固め |
ディック・マードック ×アドリアン・アドニス |
第4回 MSGタッグ・リーグ戦 |
1984年12月6日 | 広島県立体育館 | アントニオ猪木 〇アンドレザジャイアント |
13分7秒 片エビ固め |
ストロング・マシーン1号 ×ストロング・マシーン2号 |
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1985年12月12日 | 宮城県 スポーツセンター |
×アントニオ猪木 坂口征二 |
31分53秒 飛龍原爆固め |
〇藤波辰巳 木村健吾 |
IWGPタッグリーグ戦 優勝決定戦 |
1990年2月10日 | 〇アントニオ猪木 坂口征二 |
5分43秒 体固め |
橋本真也 ×蝶野正洋 |
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1990年9月30日 | 横浜アリーナ | 〇アントニオ猪木 タイガー・ジェット・シン |
17分45秒 体固め |
ビッグバン・ベイダー ×アニマル浜口 |
デビュー30周年 記念試合 |
1993年5月3日 | 福岡ドーム | アントニオ猪木 〇藤波辰巳 |
グランドコブラツイスト | ×長州力 天龍源一郎 (WAR) |
レスリングどんたく |
1995年5月3日 | 福岡ドーム | 〇アントニオ猪木 北尾光司 |
10分25秒 体固め |
×長州力 天龍源一郎 (WAR) |
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1995年12月30日 | 大阪城ホール | アントニオ猪木 高田延彦 (Uインター) |
@猪木(5分11秒体固め)山崎 A山崎(8分16秒体固め)猪木 B猪木(5分39秒卍固め)藤原 |
藤原喜明 山崎一夫 |
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1997年5月3日 | 大阪ドーム | 〇アントニオ猪木 タイガーキング |
10分42秒 裸絞め |
×藤原喜明 獣神サンダーライガー |
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1997年7月6日 | 札幌真駒内 アイスアリーナ |
〇アントニオ猪木 タイガーキング |
9分34秒 体固め |
佐々木健介 ×藤田和之 |
日本プロレスにオレと馬場さんを戦わせる度量があったら人気はもっと広がったはずだった。
感情がぶつかり合うケンカこそファンが見たい試合だったんだ
ジャイアント馬場戦を見据えて
猪木はストロング小林との日本人エース対決に挑んだ。
1974年2月
小林はフリー宣言して、
馬場と猪木に挑戦状を送り、
馬場は無視、
猪木は受諾した。
しかし馬場は、既に猪木と話を進めているのに、なぜ俺が戦わないとならないのか?
格下の小林なんて最初から相手にしていないと正論があったという!
1974年3月1日
都内のホテルでの調印式で、
猪木は先制攻撃を仕掛け激しい舌戦となった。
2人並んでの写真撮影で小林の顔面を右拳で殴り、
「試合ではその気でかかってこいよ」
と猪木イズムを爆発させたのだ。
主な日本人対決 |
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1974年3月19日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 29分30秒 原爆固め |
×ストロング小林 | NWFヘビー級選手権 |
1974年10月10日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 13分13秒 体固め |
×大木金太郎 | NWFヘビー級選手権 |
1978年2月8日 | 日本武道館 | 〇アントニオ猪木 | 11分2秒 KO |
×上田馬之助 | ネールデスマッチ |
1978年12月13日 | 横浜文化体育館 | アントニオ猪木 藤波辰爾 木戸修 |
@(15分35秒両軍リングアウト) A猪木(5分53秒卍固め)マサ斎藤 |
上田馬之助 マサ斎藤 サンダー杉山 |
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1978年12月16日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 23分6秒 卍固め |
×ヒロ・マツダ | プレ日本選手権 優勝決定戦 |
1981/09/23 | 田園コロシアム | ○アントニオ猪木 | 9分20秒 卍固め |
×タイガー戸口 | IWGPアジア地区 予選リーグ |
1981年10月8日 | 蔵前国技館 | ×アントニオ猪木 | 10分35秒 反則 |
〇ラッシャー木村 | |
1981年11月5日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 15分8秒 TKO |
×ラッシャー木村 | ランバージャック デスマッチ |
1982年2月9日 | 大阪府立体育会館 | ×アントニオ猪木 | リングアウト | 〇ラッシャー木村 | |
1982年3月 | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト | △ラッシャー木村 | MSGシリーズ公式戦 | |
1982/03/22 | ○アントニオ猪木 | 11分55秒 体固め |
×タイガー戸口 | MSGシリーズ公式戦 | |
1982年9月21日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 | 体固め 11分34秒 |
×ラッシャー木村 | 敗者髪切りマッチ |
1982年11月4日 | 蔵前国技館 | アントニオ猪木 |
〇猪木(13分3秒 逆十字固め)寺西× 〇猪木(9分27秒 体固め)浜口× ×猪木(4分37秒 リングアウト)木村〇 |
ラッシャー木村 アニマル浜口 寺西勇 |
1対3 ハンディキャップマッチ |
1983年2月7日 | 蔵前国技館 | アントニオ猪木 |
〇猪木(10分10秒 体固め)木村× 〇猪木(5分10秒 コブラツイスト)寺西× ×猪木(5分56秒 反則)浜口〇 |
ラッシャー木村 アニマル浜口 寺西勇 |
1対3 ハンディキャップマッチ |
1983年4月3日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 体固め | ×ラッシャー木村 | |
1983年5月27日 | 高松市民文化センター | 〇アントニオ猪木 | 12分57秒 体固め |
×前田日明 | 第1回 IWGP決勝リーグ戦 |
1983年5月 | 〇アントニオ猪木 | 体固め | ×ラッシャー木村 | 第1回 IWGP決勝リーグ戦 |
|
1983年8月28日 | 田園コロシアム | 〇アントニオ猪木 | 12分38秒 卍固め |
×ラッシャー木村 | |
1983年9月21日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 | KO | ×ラッシャー木村 | |
1984年4月19日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 13分44秒 レフェリーストップ |
×長州力 | 正規軍Vs維新軍 5対5勝抜き戦 |
1984年8月2日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 29分39秒 グラウンドコブラ |
×長州力 | 第2回 IWGP決勝リーグ戦 |
1986年2月6日 | 両国国技館 | 〇アントニオ猪木 | 19分37秒 裸締め |
×藤原喜明 | 新日本VsUWF 対抗戦 |
1987年3月26日 | 大阪城ホール | 〇アントニオ猪木 | 25分34秒 反則 |
×マサ斎藤 | 全日本からUターン参戦 |
1987年4月27日 | 両国国技館 | 〇アントニオ猪木 | 26分2秒 TKO |
×マサ斎藤 | 全日本からUターンの 長州が来場 |
1987年6月12日 | 両国国技館 | 〇アントニオ猪木 | 14分53秒 体固め |
×マサ斎藤 | IWGP王座決定戦 世代闘争が勃発 |
1987年10月4日 | 巖流島 特設リング |
〇アントニオ猪木 | 2時間5分14秒 TKO |
×マサ斎藤 | 巌流島 |
1988年8月8日 | 横浜文化体育館 | △アントニオ猪木 (挑戦者) |
時間切れ 引き分け |
△藤波辰巳 | IWGPヘビー級選手権 |
1989年2月22日 | 両国国技館 | ×アントニオ猪木 | 15分29秒 体固め |
〇長州力 | |
1992年1.4 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 | 10分9秒 卍固め |
×馳浩 | |
1994年1月4日 | 東京ドーム | ×アントニオ猪木 | 15分56秒 エビ固め |
〇天龍源一郎 | |
1994年5月1日 | 福岡ドーム | 〇アントニオ猪木 | 20分12秒 体固め |
×グレート・ムタ | INOKI FINAL
COUNTDOWN 1 |
1995年3月19日 | 愛知県体育館 | 〇アントニオ猪木 | 18分5 秒体固め |
藤原喜明 | INOKI FINAL
COUNTDOWN 4 |
1997年4月12日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 | 6分46秒 コブラツイスト |
タイガーキング | INOKI FINAL
COUNTDOWN 7 |
猪木Vs天龍戦についての複雑な想い
いずれにしろ、猪木も馬場もその時点では既にピークを越えており、
年齢による力の差は、認めたくないが事実
天龍は勝って当然の試合だったのだ
また同世代の鶴田や長州藤波が両巨頭と対戦していないだけに、
その結果だけが歴史の事実として、いつもついてくるのは、少し複雑な想いがある
過去にUWFの前田、全日本の鶴田が猪木に挑戦表明をしたことがあったが、
この時点で猪木は40歳を越えており、理由は不明だか猪木はこの挑戦を受けることはなかった
やはり、同世代の対決でない限り、どうしても年齢的な部分が勝敗に左右されてしまい、
勝敗のみが歴史の事実のみ残ってしまうのは、いたしかたないのか?、
とはいえ、天龍だから成し遂げた結果である事も事実なのだ。
オレの次の時代の連中がプロレスと格闘技を分けてしまった。
勝手に差別化して苦しんでいる。
オレはプロレスも格闘技も一緒だと言っていたのに…
1975年
プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリは、
「誰か日本の格闘家で俺に挑戦するものはいないか?
レスラーでもボクサーでも柔道家でも誰の挑戦でも受けてやる!」
と公言した。
こうして実現した猪木Vsアリ戦は、
莫大の借金を抱えての興行となったが、
猪木は「アリと戦った男」として、
一躍有名になり、
世界の強豪が打倒猪木に名乗りを上げた。
格闘技世界一決定戦 |
||||||
1976/2/06 | 日本武道館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 20分56秒 TKO |
×ウイリエム・ルスカ | 柔道 ミュンヘンオリンピック 柔道無差別級 金メダリスト |
1976/6/26 | 日本武道館 | 格闘技世界一決定戦 | △アントニオ猪木 | 15R 引き分け |
△モハメッド・アリ | プロボクシング 元WBA世界ヘビー級王者 元WBC世界ヘビー級王者 |
1976/10/7 | 蔵前国技館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 23分44秒 レフリーストップ |
×アンドレ・ザジャイアント | プロレスリング |
1976/12/9 | 蔵前国技館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 21分27秒 TKO |
×ウイリエム・ルスカ | 柔道 |
1976/12/12 | カラチナショナル スタジアム |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 3R TKO |
×アクラム・ペールワン | インドレスリング |
1977/08/08 | 日本武道館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 5R1分38秒 KO |
×ザ・モンスターマン | 全米プロ空手 元世界ヘビー級王者 |
1977/10/25 | 日本武道館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 3R1分35秒 逆エビ固め |
×チャック・ウエップナー | プロボクシング |
1978/4/4 | フィラデルフィア アリーナ |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 3R1分19秒 KO |
×ザ・ランバージャック | 全米プロ空手 |
1978/6/7 | 福岡 スポーツセンター |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 7R1分58秒 KO |
×ザ・モンスターマン | 全米プロ空手 |
1979/10/5 | 韓国 奨忠体育館 |
格闘技 世界ヘビー級選手権 |
○アントニオ猪木 | 15分6秒 弓矢固め |
×ウイリエム・ルスカ | 柔道 |
1978/11/9 | フランクフルト フェストホール |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 4R1分15秒 逆エビ固め |
×カール・ミルデンバーガー | プロボクシング |
1979/02/6 | 大阪府立体育館 | 格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 3R50秒 逆十字固め |
×ミスターX | 空手 |
1979/04/3 | 福岡 スポーツセンター |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 6R1分19秒 TKO |
×レフトフック・デイトン | カンフー |
1979/06/16 | パキスタン ラホール市 |
格闘技世界一決定戦 | ○アントニオ猪木 | 5R 引き分け |
×ジュベール・ペールワン | インドレスリング |
1979/12/13 | 京都府立体育館 | 格闘技 世界ヘビー級選手権 |
○アントニオ猪木 |
3R58秒 KO |
×キム・クロケード | 空手 |
1980/02/27 | 日本武道館 | 格闘技 世界ヘビー級選手権 |
△アントニオ猪木 |
4R1分24秒 引き分け |
△ウイリー・ウイリアムス | 空手 |
1984/9/20 | 大阪府立体育館 | 異種格闘技戦 | ○アントニオ猪木 | 5R25秒 片エビ固め |
×アノアロ・アティサノエ | サモアの怪人 |
1986/10/09 | 両国国技館 | 異種格闘技戦 | ○アントニオ猪木 | 8R1分23秒 体固め |
×レオン・スピンクス | 元WBA世界ヘビー級王者 元WBC世界ヘビー級王者 |
1989/4/24 | 東京ドーム | 異種格闘技戦 | ×アントニオ猪木 | 5R1分20秒 KO |
○ショータ・チョチョシビリ | 柔道 ミュンヘンオリンピック 柔道無差別級金メダリスト |
1989/5/25 | 大阪城ホール | 異種格闘技戦 | ○アントニオ猪木 | 2R1分7秒 裏十字固め |
×ショータ・チョチョシビリ | 柔道 |
1995/1/4 | 東京ドーム | ファイナル カウントダウンBVD 杯格闘技トーナメント |
○アントニオ猪木 | 10分26秒 裸絞め |
×スティング | プロレスリング |
○アントニオ猪木 |
6分37秒 裸絞め |
×ジェラルド・ゴールド | 空手 | |||
1997/1/4 | 東京ドーム | 猪木ファイナル カウントダウン 6th 異種格闘技戦 |
○アントニオ猪木 | 4分13秒 グランド式 アバラ折り |
×ウイリー・ ウイリアムス |
空手 |
1998/3/22 | 愛知県体育館 | 公開スパーリング | アントニオ猪木 | 4分30秒 勝敗なし |
角田信明 | K-1 |
猪木 トップ外人選手 シングル対戦成績
猪木Vsローラン・ボック
4戦 猪木2勝1敗1引分 |
|||||
1978年11月8日 | デュッセルドルフ | 〇アントニオ猪木 | 反則勝ち | ×ローランボック | |
1978年11月 | アントニオ猪木 | 両者リングアウト | ローランボック | ||
1978年11月25日 | シュトゥットガルト | ×アントニオ猪木 | 判定勝ち | 〇ローランボック | シュツットガルドの惨劇 |
1982年 | 後楽園ホール | 〇アントニオ猪木 |
3ラウンド 3分16秒 反則負け |
×ローランボック | 新春スーパー・ファイトシリーズ |
猪木Vsスタン・ハンセン
25戦 猪木18勝3敗4引分 |
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1977年1月7日 | 越谷市体育館 | 〇アントニオ猪木 | 11分17秒 反則 |
×スタンハンセン | |
1977年1月14日 | 九電記念体育館 | 〇アントニオ猪木 | 12分22秒 反則 |
×スタンハンセン | |
1977年2月2日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 | 12分42秒 体固め |
×スタンハンセン | |
1977年2月6日 | 久慈市体育館 | 〇アントニオ猪木 | 11分7秒 逆さ押さえ込み |
×スタンハンセン | |
1977年2月9日 | 横浜文化体育館 | 〇アントニオ猪木 | 9分58秒 逆さ押さえ込み |
×スタンハンセン | |
1977年9月2日 | 愛知県体育館 | 〇アントニオ猪木 | 25分13秒 体固め |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1977年10月4日 | 京都正武館 | 〇アントニオ猪木 | 9分39秒 反則 |
×スタンハンセン | |
1979年5月24日 | 弘前市民体育館 | 〇アントニオ猪木 | 9分33秒 反則 |
×スタンハンセン | 第2回MSG決勝リーグ戦 |
1979年6月7日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 9分3秒 体固め |
×スタンハンセン | 第2回MSG優勝戦 |
1979年8月17日 | カナダ・カルガリー | 〇アントニオ猪木 | 9分15秒 体固め |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1980年2月2日 | 札幌中島スポーツセンター | ×アントニオ猪木 | 13分16秒 反則 |
〇スタンハンセン | |
1980年2月7日 | 大阪府立体育会館 | △アントニオ猪木 | 12分40秒 両者リングアウト |
△スタンハンセン | |
1980年2月8日 | 東京体育館 | ×アントニオ猪木 | 17分12秒 リングアウト |
〇スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1980年4月3日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 12分55秒 体固め |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1980年4月4日 | 川崎市体育館 | △アントニオ猪木 | 10分7秒 両者リングアウト |
△スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1980年5月9日 | 福岡スポーツセンター | 〇アントニオ猪木 | 17分3秒 反則 |
×スタンハンセン | |
1980年5月29日 | 弘前市民体育館 | △アントニオ猪木 | 9分18秒 両者リングアウト |
△スタンハンセン | 第3回MSG決勝リーグ戦 |
1980年6月5日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 7分49秒 反則 |
×スタンハンセン | 第3回MSG優勝戦 |
1980年9月11日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 | 9分18秒 リングアウト |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1980年9月25日 | 広島県立体育館 | 〇アントニオ猪木 | 10分49秒 逆さ押さえ込み |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1981年4月17日 | 鹿児島県立体育館 | 〇アントニオ猪木 | 13分24秒 ノーコンテスト |
×スタンハンセン | NWFヘビー級選手権 |
1981年4月23日 | ・蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 12分56秒 体固め |
×スタンハンセン | NWFヘビー級王座決定戦 |
1981年5月20日 | 岐阜市民センター | ×アントニオ猪木 | 11分43秒 リングアウト |
〇スタンハンセン | 第4回MSGリーグ戦 |
1981年6月4日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 7分45秒 リングアウト |
×スタンハンセン | 第4回MSG優勝決定戦 |
1981年9月18日 | 広島県立体育館 | △アントニオ猪木 | 12分46秒 両者リングアウト |
△スタンハンセン |
猪木Vsアンドレザ・ジャイアント
4戦 猪木2勝0敗2引分 |
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1976年10月7日 | 蔵前国技館 | ○アントニオ猪木 | 23分44秒 レフリーストップ |
×アンドレ・ザジャイアント | 格闘技世界一決定戦 |
1977年6月1日 | 愛知県体育館 | △アントニオ猪木 | 23分14秒 両者リングアウト |
△アンドレ・ザ・ジャイアント | NWFヘビー級選手権 |
1978年5月30日 | 大阪府立体育会館 | △アントニオ猪木 | 6分32秒 リングアウト |
△アンドレ・ザ・ジャイアント | 第1回MSG優勝戦 |
1986年6月17日 | 愛知県体育館 | ○アントニオ猪木 | 9分30秒 腕固め |
×アンドレ・ザ・ジャイアント | '86IWGPヘビー級王座決定 Aグループ予選リーグ公式戦 |
猪木Vsボブ・バックランド
初戦 猪木は61分3本勝負で、1-0で勝利するも、2フォール勝ちでなければタイトルは移動しないWWWFルールにより、タイトルは移動せず
79年にバックランドを破り第9代WWF王者となり、同年12月にバックランドのリターンマッチを受けたが、タイガージェットシンの乱入で、
無効試合となり、WWF王者を返上している。
6戦 猪木3勝0敗1引分 1無効試合 1不明 |
|||||
1978年6月1日 | 日本武道館 | 〇アントニオ猪木 | 1本目 猪木(リングアウト) 2本目(時間切れ) |
×ボブ・バックランド | NWFヘビー級 WWWFヘビー級 ダブル選手権 61分3本勝負 |
1978年7月27日 | 日本武道館 | △アントニオ猪木 | 時間切れ 引き分け |
△ボブ・バックランド | WWWFヘビー級 選手権 |
1978年12月14日 | 大阪府立体育会館 | 〇アントニオ猪木 | リングアウト | ×ボブ・バックランド | WWWFヘビー級 選手権 |
1979年11月30日 | 徳島市立体区間 | 〇アントニオ猪木 | 28分16秒 バックドップ |
×ボブ・バックランド | WWFヘビー級 選手権 |
1979年12月6日 | 蔵前国技館 | △アントニオ猪木 | 無効試合 | △ボブ・バックランド | WWFヘビー級 選手権 |
1980年4月16日 | アメリカ | アントニオ猪木 | 不明 | ボブ・バックランド | WWFヘビー級 選手権 |
猪木Vsハルク・ホーガン
4戦 猪木2勝1敗1引分 |
|||||
1983年5月19日 | △アントニオ猪木 | 15分21秒 両者フェンスアウト |
△ハルクホーガン | 第1回IWGPリーグ戦 決勝リーグ戦 |
|
1983年6月2日 | 蔵前国技館 | ×アントニオ猪木 | 21分27秒 KO |
〇ハルクホーガン | 第1回IWGPリーグ戦 決勝戦 |
1984年6月14日 | 蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 17分15秒 両者リングアウト 延長 2分13秒 両者リングアウト 再延長 3分11秒 リングアウト |
×ハルクホーガン | 第2回IWGPリーグ戦 決勝戦 |
1985年6月13日 | 愛知県体育館 | 〇アントニオ猪木 | リングアウト | ×ハルク・ホーガン | IWGPヘビ−級選手権 |
猪木Vsアブトラーザ・ブッチャー
2戦 猪木2勝0敗0引分 |
|||||
1982年1月28日 | 東京都体育館 | 〇アントニオ猪木 | 反則 | ×アブトラーザ・ブッチャー | |
〇アントニオ猪木 | 体固め | ×アブトラーザ・ブッチャー |
猪木Vsビックバンン・ベイダー
戦 猪木勝敗引分 |
|||||
1987年12月27日 | 両国国技館 | ×アントニオ猪木 | 〇ビッグバン・ベイダー | TPGの宣戦布告 猪木長州戦後の2試合目 |
|
1996年1月4日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 | 逆十字固め | ×ビッグバン・ベイダー | NOKI FINAL COUNT DOWN 5th |
猪木Vsブルーザ・プロディ
7戦 猪木1勝2敗4引分 |
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1985年4月18日 | 両国国技館 | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト | △ブルーザーブロディ | |
1985年7月28日 | 大阪城ホール | ×アントニオ猪木 | 反則 | ○ブルーザーブロディ | |
1985年8月1日 | 両国国技館 | ×アントニオ猪木 | 反則 | ○ブルーザーブロディ | |
1985年8月5日 | ハワイ | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト | △ブルーザーブロディ | |
1985年10月4日 | 札幌中島体育センター | △アントニオ猪木 | 両者リングアウト | △ブルーザーブロディ | |
1985年10月31日 | 東京体育館 | ○アントニオ猪木 | 反則 | ×ブルーザーブロディ | |
1986年9月16日 | 大阪城ホール | △アントニオ猪木 | 60分時間切れ引分け | △ブルーザーブロディ |
日本プロレス時代、猪木は
ドンレンジョナサン、ボボブラジル、クリスマルコフ、ブッチャー、ハーリーレイス、ダニーホッジ、ドリーファンクJ、テリーファンク、ゴリラモンスーン、クラッシャーリソワスキー、
ディックザブルーザー、バディーオースチン、ブルラモス、ザデストロイヤー、ミルマスカラス、マットドックバジョン、ブルーノサンマルチン、フィリッツフォンエリック、
ジンキニスキー、ネルソンロイヤル、アニーラッド、ニックボックウインクル、ジョニーバレンタイン
など 全米トップスターと対戦している。
また、1969.12.02 大阪・大阪府立体育会館 NWA世界ヘビー級選手権試合 で
ドリー・ファンク・ジュニア vs アントニオ猪木も実現
結果は時間切れ引き分けとなっている。
1979年
WWU世界ヘビー級王者ローランボックは、
猪木Vsアリ戦を見て
『モハメッド・アリと闘った男』アントニオ猪木に
直接オファーを行い実現した。
ツアーは猪木にとって大変過酷なものとなり、
硬いマット、不慣れなルール、ラウンド制の試合形式、長距離移動など、
連日連夜の超ハードスケジュールであった。
当時の全ヨーロッパの格闘家が集結
6カ国 23日間 20戦を戦い、
「1敗」の成績を残したのは、さすが猪木であった。
1979年 欧州世界選手権シリーズ |
||||||
11月7日 | 西ドイツ | オーバーショワルツェン スタジアム |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 5R1分33秒 体固め |
×ウイレムルスカ |
11月8日 | 西ドイツ | デュッセルドルフ フィリップスホール |
4分5ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 5R3分40秒 反則 |
×ローランボック |
11月9日 | 西ドイツ | フランクフルト フェストホール |
3分15ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R1分15秒 逆エビ固め |
×カール・ミルデンバーガー |
11月10日 | 西ドイツ | ハンブルグ スポーツホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 引き分け | △ジャックデラサルテス |
11月11日 | 西ドイツ | ハノーバー市 メッセホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 5R 逆腕固め |
×ジャックデラサルテス |
11月12日 | 西ドイツ | ベルリン ドイッチェランドホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 5R1分11秒 両者リングアウト |
△ローランドボック |
11月13日 | 西ドイツ | カッセル市 エセスホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 5R53秒 体固め |
×ジャックデラサルテス |
11月16日 | 西ドイツ | キール コンサートマネージメント |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R2分20秒 腕固め |
×ウィルフレッドデートリッヒ |
11月17日 | 西ドイツ | ミュンヘン セベルスメイヤー スポーツホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 10回 引き分け |
△ウイレムルスカ |
11月19日 | スイス | バーゼル市 セントヤゴス スポーツホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 5R2分35秒 反則 |
×ジャックデラサルテス |
11月19日 | オーストリア | ウイーン市ウイナー ホーレン スタジアム |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R1分32秒 反則 |
×オイゲンウィスバーガー |
11月20日 | 西ドイツ | ザールブルッケン ザーランドホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R57秒 体固め |
×ジャックデラサルテス |
11月21日 | 西ドイツ | ルートウィフハーヘン エバートホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 4R2分51秒 両者リングアウト |
△ウィルフレッドデートリッヒ |
11月23日 | オランダ | ロッテルダム マホイ スポーツランド |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 10R 引き分け |
△ウイレムルスカ |
11月24日 | 西ドイツ | ドルトムント ベストフォーレンホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 10R 引き分け |
△オットーワンツ |
11月26日 | 西ドイツ | シュツットガルト キーレスバーグ |
4分10ラウンド | ×アントニオ猪木 | 10R 判定 |
〇ローランボック |
11月26日 | ベルギー | ルーティッヒ・カントリー ホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R1分42秒 逆さ押さえ込み |
×チャールズベルハルスト |
11月27日 | ベルギー | アントワープ スポーツパレス |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 4R 反則 |
×ウイレムルスカ |
11月28日 | 西ドイツ | シュウェニケン アルセラングホール |
4分10ラウンド | 〇アントニオ猪木 | 2R 反則 |
×ウイレムルスカ |
11月29日 | オーストリア | リンツ スポーツホール |
4分10ラウンド | △アントニオ猪木 | 10R 引き分け |
△オイゲン・ウィスバーガー |
ローランボックとの戦いは、4戦1勝1敗1引分けとなり、
ボックとの4戦目の戦いは、猪木にとってかなり過酷な試合となり、
受け身の取れないスープレックス、一線を越えたシュートな攻め
猪木を潰したこの試合を「シュトゥットガルトの惨劇」とも称された
この試合は欧州代表のボックと日本代表の猪木とのダブルタイトル戦であり、
勝者はアメリカ代表のブルーノサンマルチノと世界統一の最終決戦を行う予定だった!?
1980年
IWGP構想
猪木は長年の念願だった「世界中に乱立するベルトを統合し、
世界最強の統一世界王者を決定する」構想をブチ上げ、
全世界から選ばれた代表によって開催された。
1983年
第1回 IWGPリーグ戦
参加メンバー |
日本代表 アントニオ猪木 キラー・カーン ラッシャー木村 欧州代表 前田日明 オットー・ワンツ 米国代表 ハルク・ホーガン ビッグ・ジョン・スタッド 北米代表 アンドレ・ザ・ジャイアント 中南米代表 エル・カネック エンリケ・ベラ ※木村は、北米代表の デノブラボーの欠場による 代打出場 |
6月2日 決勝戦 |
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蔵前国技館 | 〇ハルクホーガン | 21分27秒 KO |
×アントニオ猪木 |
1984年
第2回 IWGPリーグ戦
参加メンバー |
アントニオ猪木 藤波辰巳 マサ斎藤 長州力 ハルク・ホーガン アンドレ・ザ・ジャイアント ディック・マードック アドリアン・アドニス マスクド・スーパースター ビッグ・ジョン・スタッド ケン・パテラ オットー・ワンツ ビッグ・ジョン・クイーン |
6月14日 決勝戦 |
|||
蔵前国技館 | 〇アントニオ猪木 | 3分11秒 リングアウト |
×ハルクホーガン |
17分15秒 両者リングアウトとなり、
延長も、2分13秒 両者リングアウト、
再延長で決着
1985年
第3回 IWGPリーグ戦
勝ち抜きトーナメント方式
参加メンバー |
アントニオ猪木 坂口征二 藤波辰巳 木村健吾 アンドレ・ザ・ジャイアント ディック・マードック アドリアン・アドニス マスクド・スーパースター キンゴコング・バンディ カネック ロン・ミラー スーパー・ストロング・マシーン |
6月11日 決勝戦 |
|||
東京体育館 | 〇アントニオ猪木 | 13分50秒 リングアウト |
×アンドレ・ザ・ジャイアント |
1986年
第4回 IWGPリーグ戦
A、Bブロックに分かれて予選リーグ方式
参加メンバー |
アントニオ猪木 坂口征二 藤波辰巳 木村健吾 前田日明 藤原喜明 上田馬之助 アンドレ・ザ・ジャイアント ディック・マードック マスクド・スーパースター ジミー・スヌーカ ワイルド・サモアン キューバン・アサシン クラウス・ワラス |
6月11日 決勝戦 |
|||
東京体育館 | 〇アントニオ猪木 | 30分7秒 体固め |
×ディック・マードック |
1987年
第5回 IWGPリーグ戦
A、Bブロックに分かれて予選リーグ方式
参加メンバー |
アントニオ猪木 坂口征二 藤波辰巳 木村健吾 ジョージ高野 前田日明 藤原喜明 マサ斎藤 上田馬之助 ハックソー・ヒギンズ コンガ・ザ・バーバリアン スコット・ホール キラー・ブルックス アレックス・スミルノフ |
6月12日 決勝戦 |
|||
両国国技館 | 〇アントニオ猪木 | 14分53秒 体固め |
×マサ斎藤 |
猪木が4年連続優勝
IWGPをタイトル化により、猪木が初代IWGP王者となる。
引退ロード 1990年〜1998年 | |||||
1990年2月10日 | 東京ドーム |
〇アントニオ猪木 坂口征二 |
15分43秒 体固め |
橋本真也 ×蝶野正洋 |
|
1990年9月30日 | 横浜アリーナ |
〇アントニオ猪木 タイガー・ジェット・シン |
17分45秒 体固め |
ビッグバン・ベイダー ×アニマル浜口 |
|
1992年1月4日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 |
10分9秒 卍固め |
×馳浩 | |
1992年3月1日 | 横浜アリーナ |
アントニオ猪木 ×木戸修 |
28分0秒 片エビ固め |
〇長州力 木村健悟 |
|
1992年5月17日 | 大阪城ホール |
〇アントニオ猪木 馳浩 |
13分54秒 体固め |
ムッシュ・ランボー ×ブラッド・レイガンズ |
|
1993年1月4日 | 福岡ドーム |
アントニオ猪木 〇藤波辰爾 |
26分25秒 寝技式アバラ折り |
×長州力 天龍源一郎 |
|
1994年5月3日 | 東京ドーム | ×アントニオ猪木 |
15分56秒 エビ固め |
〇天龍源一郎 | |
1994年3月16日 | 東京体育館 |
×アントニオ猪木 安田忠夫 |
14分27秒 反則 |
蝶野正洋 〇木戸修 |
|
1994年4月4日 |
広島グリーン アリーナ |
〇アントニオ猪木 馳浩 |
13分34秒 裸絞め |
藤原喜明 ×石川雄規 |
|
1994年5月1日 | 福岡ドーム | 〇アントニオ猪木 |
20分12秒 体固め |
×グレートムタ | INOKI FINAL COUNTDOWN 1st |
1994年8月24日 | 米国 | 〇アントニオ猪木 |
8分36秒 裸絞め |
×ロードスティーブン・ リーガル |
|
1994年9月23日 | 横浜アリーナ | 〇アントニオ猪木 |
11分37秒 裸絞め |
×ウイレム・ルスカ | INOKI FINAL COUNTDOWN 2nd |
1995年1月4日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 |
6分37秒 裸絞め |
×ジェラルド・ゴルドー |
INOKI FINAL COUNTDOWN 3rd 格闘技トーナメント |
〇アントニオ猪木 |
10分26秒 裸絞め |
×スティング | |||
1995年3月19日 | 愛知県体育館 | 〇アントニオ猪木 |
18分5秒 体固め |
×藤原喜明 | INOKI FINAL COUNTDOWN 4th |
1995年4月29日 | 北朝鮮 | 〇アントニオ猪木 |
14分52秒 体固め |
×リック・フレアー | |
1995年5月3日 | 福岡ドーム |
〇アントニオ猪木 北尾光司 |
10分25秒 体固め |
×長州力 天龍源一郎 |
|
1995年12月30日 | 大阪城ホール |
アントニオ猪木 高田延彦 |
@猪木(体固め) 山崎 A山崎(体固め) 猪木 B猪木(卍固め) 藤原 |
藤原喜明 山崎一夫 |
突然卍固め |
1996年1月4日 | 東京ドーム | アントニオ猪木 |
14分16秒 腕ひしぎ十字固め |
ビッグバン・ベイダー | INOKI FINAL COUNTDOWN 5th |
1996年6月1日 | 米国 |
アントニオ猪木 〇ダン・スバーン |
9分15秒 体固め |
×藤原喜明 オレッグ・タクタロフ |
|
1996年12月1日 |
国立代々木競技場 第二体育館 |
〇アントニオ猪木 |
4分58秒 腕ひしぎ十字固め |
×ザ・ガスパー | |
1997年1月4日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 |
4分13秒 寝技式アバラ折り |
×ウイリー・ウイリアムス | INOKI FINAL COUNTDOWN 6th |
1997年4月12日 | 東京ドーム | 〇アントニオ猪木 |
6分46秒 アバラ折り |
×タイガーキング | INOKI FINAL COUNTDOWN 7th |
1997年5月3日 | 大阪ドーム |
〇アントニオ猪木 タイガーキング |
10分42秒 裸絞め |
×藤原喜明 獣神サンダー・ライガー |
|
1997年7月6日 | 真駒内アイスアリーナ |
〇アントニオ猪木 タイガーキング |
9分34秒 体固め |
佐々木健介 ×藤田和之 |
1998年4月4日 引退試合 | ||||
東京ドーム | 〇アントニオ猪木 | 4分9秒 寝技式アバラ折り |
×ドン・フライ | |
○藤波辰爾 | 21分18秒 原爆固め |
×佐々木健介 | IWGPヘビー級選手権 | |
○蝶野正洋 武藤敬司 |
18分27秒 羽根折り固め |
橋本真也 ×西村修 |
IWGPタッグ選手権 | |
○獣神サンダーライガー | 15分28秒 片エビ固め |
×ケンドー・カ・シン | IWGPジュニアヘビー級選手権 |
|
○ドン・フライ | 5分0秒 TKO |
×小川直也 | THE FINAL INOKI TOURNAMENT決勝戦 | |
○大谷晋二郎 | 12分10秒 飛龍原爆固め |
×安良岡裕二 | ||
○高岩竜一 | 17分5秒 片エビ固め |
×金本浩二 | ||
○越中詩郎 後藤達俊 小原道由 |
9分26秒 エビ固め |
平田淳二 山崎一夫 ×安田忠夫 |
||
中西学 小島聡 |
12分4秒 ハイジャック式背骨折り |
天山広吉 ×ヒロ斉藤 |
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○ドン・フライ | 3分57秒 KO |
×イゴール・メインダート | THE FINAL INOKI TOURNAMENT準決勝 | |
○小川直也 | 3分30秒 腕ひしぎ逆十字固め |
×ブライアン・ジョンストン |
引退セレモニー
新日選手が一人ずつリングに上がり、花束を贈呈
続けてゲストが登場
アリ、ルスカ、バックランド、カーン、浜口、天龍、前田、長州、藤波、坂口らがリングに上がって、猪木と握手
古舘伊知郎ナレーション
「闘う旅人、アントニオ猪木 今、相手のいないリングにたった一人でたたずんでいます
思えば38年に及ぶプロレス人生 旅から旅への連続であり、
そして猪木の精神も旅の連続であった
安住の場所を嫌い、突き進んでは出口を求め、飛び出しでは次なる場所に歩を進め、ドン底からの新日旗揚げ、
世界王者とのストロングマッチ、大物日本人対決、格闘技世界一決定戦、
IWGP、巖流島、人質解放、国会に卍固め、魔性のスリーパー
決して人生に保険をかけることなく、その刹那、刹那を燃やし続ければよいという生き様
猪木はこの後の舵をどの方向にとろうというのか
ひとりひとりのファンの胸には今、どんな闘いの情景が写し出されているのか
猪木は、すべての人間が内包している闘う魂をリング上で代演する宿命にあった
しかし、この瞬間をもって猪木はリングから姿を消す
我々はどうやって火を灯していけばいいのか
物質に恵まれた世紀末、商業主義に踊る世紀末、情報が豊かでとても心が貧しい世の中、
一人で闘うことを忘れかけた人々
もう我々は闘魂に癒されながら時代の砂漠をさまよってはいられない
我々は今日をもって猪木から自立しなければならない
闘魂のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。闘魂は連鎖する
1943年2月20日、鶴見に生まれしひとりの男の子
姓名、猪木寛至、闘魂の火ダネ
貴方を見続けることが出来たことを光栄に思います
燃える闘魂に感謝
ありがとう、アントニオ猪木!」
猪木挨拶
「私は今、感動と感激そして素晴らしい空間の中に立っています。
心の奥底からわき上がる皆様に対する感謝と熱い思いを止めることが出来ません
カウンドダウンが始まってからかなりの時間がたちました
いよいよ今日がこのガウン姿が最後となります
思えば右も左も分からない青年が力道山の手によってブラジルから連れ戻されました
それから38年の月日が流れてしまいました
最初にこのリングに立ったときは興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、
今日はこのような大勢の皆様の前で最後のご挨拶が出来る ということは本当に熱い思いで言葉になりません
私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました
そしてある人が燃える闘魂と名付けてくれました
闘魂とは己に打ち勝つことそして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います
最後に私から皆様にメッセージを贈りたいと思います
人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います
この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ
ありがとう!」
そして10カウント
ベートーベンの「運命」の曲に乗ってドームの花道を引き上げて行く
巨大スクリーンに古代ローマのコロッセウムが写し出された
舞台で立ち止まった猪木は「1、2、3、ダー」
7万人 の大合唱となった
2022念10月1日 アントニオ猪木 死去
猪木さんと出会えなかったら、私はプロレスファンではなかったと思います。
また格闘コロッセウムというホームページも存在しませんでした。
猪木さんと出会えた事で、
私は勇気をもらいました。
私はやればできるという事を学びました。
私は人を思うやさしさを学びました。
私の人生、猪木さんの出会えた事で、いろんな事を学びました。
本当にありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。
安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈り申し上げます
合掌
追悼コメント メッセージ 一部抜粋 順不同
「生まれ変わってもまた、あなたの側に」
一部抜粋
盟友 坂口征二
「この前の日テレの『24時間テレビ』も、自分自身に言い聞かせて出たんじゃないかなと思うよね。
普通だったら辞めとけってみんな言うし、弱い姿を見せたくないじゃない。
いつまでも注目されたり、スターでありたいとか、あったんだろうね。
実際にそれだけのことをやってきた人だしね」
「猪木さん、いろんなことがあったけど、長い間ありがとうございました」
藤波辰爾
「言葉が出てこない。自分にとっては本当に大きな人だったので。プロレスの全てが猪木さんで、僕の人生そのものだった」
「まさかと疑ったくらい(ショックで)、頭が真っ白。何も手がつかない。今も動揺して言葉が出てこない」
「これで猪木さん自身、リングシューズを脱いで、普通の猪木さんとして、ゆっくり休めるんじゃないかな」
「生まれ変わってもまた、あなたの側に」
長州力
「やっと解放されましまね。
リングを降りても貴方は
闘魂アントニオ猪木でした
まさに闘魂そのものでした。
猪木さんどうか安らかに
お休みになって下さい。
私の中での昭和のプロレス
時代はこれで終わりたいと思いますが、まだ藤波辰爾
選手が頑張ってます
最後まで見届けます。」
佐山サトル
「私の師匠、アントニオ猪木 拳拳服膺(けんけんふくよう)してご冥福を祈ります」
前田日明
「いつも黙って背中で語り行動する人でした。
猪木寛至と同時代を過ごせた事が幸運でした。
とんでもなくお世話になりました。
有難う御座いました。
長い間お疲れ様でございました。
御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。」
木村健吾
「ぼくにとって猪木さんは神≠ニ同じような存在でした。ぼくは最初、日本プロレスに入っているんです。
そこで坂口征二さんと一緒に新日本プロレスに移ったことで、ぼくの人生が大きく変わりました。
新日本には猪木さんという神≠フような人がいましたからね。
いまはゆっくり休んでいただきたいです」
スタンハンセン
「ショックだよ。猪木さんは私のプロレス人生を変えてくれた大恩人だから感謝の気持ちでいっぱい」
ハルクホーガン
「私のレスリングキャリアの半分は新日本プロレスで働いた。
何年も受け入れてもらった。
巡業バスに乗って日本を旅し、トレーニングして、生活して、時には米国人とも戦った。
猪木は本当に『ICHIBAN(イチバーン)』だった。兄弟よ、愛してるよ。アックスボンバー」
リックフレアー
「どうか安らかに眠ってください 素晴らしい試合と思い出をありがとう 友よ」
新間寿
「猪木寛至さんはお亡くなりになりました。しかし私の中で燃える闘魂、アントニオ猪木は亡くなりません」
「アントニオ猪木は私の青春そのものです。その輝きは失せることはありえないのです。
アントニオ猪木は多くの人に夢を与え希望を与えた方。その命は消えることはありません」
武藤敬司
「猪木さんが亡くなった。走馬灯のように数々の思い出が溢れてくる」
「きっと俺の中にも猪木イズムが流れている。『来年の引退まで精一杯頑張っていきます!』心よりご冥福をお祈りいたします」
蝶野正洋
「本当にショックで今言葉になりません 猪木さん 安らかにお眠り下さい」
馳浩
「参院選で猪木さんの秘書を務めたり、猪木さんと一緒に北朝鮮の平壌でプロレスの試合をしたり。
猪木さんと一緒にイラクのバグダッドで人質解放のためにプロレスをしたり、
猪木さんと一緒にペレストロイカのモスクワで大晦日にプロレスの試合をしたり。猪
木さんと東京ドームでシングルマッチをして「卍固め」で負けたり。
とにかく人生最高の想い出しかありません。
東京五輪の招致に成功した一因も、猪木さんからいただいた北朝鮮のIOC委員とのご縁です。
心からご冥福をお祈り申し上げます。」
永田裕志
「今起きてすぐに、猪木会長の訃報を知りました。 まだ信じられない気持ちで、混乱してます」
「 もう一度猪木会長の笑顔が見たかった」
棚橋弘至
「猪木さんほど、誰かを元気にした人を僕は知りません。
猪木さんがいたから、新日本プロレスがあり、今の僕がいます。全身全霊の感謝を送ります。
命の燃やし方を教えていただきました。」
中邑真輔
「お疲れ様でございました」
高田延彦
「我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木が亡くなったとの一報が入った。
ついにこの日が来たか、猪木さんが逝ったんだ。
まだなんとも言えぬ気持ち。
心よりご冥福を祈りします」
高山善廣
「病弱で体力もないガキだった俺様に
生きる勇気と希望と夢を叶える力、
すべてを与えてくれた人でした。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。」
小川直也
「いつかはこの日が来るかなとは思っていたが、なかなか現実を受け入れられないのが正直なところ」
「肌つやが良く、正直なぜ? という気持ちがまだある」
「猪木の常識は世間の非常識。その通りの教育を受けてきた」
藤田和之
「猪木会長、長らくの闘病との闘いお疲れ様でした。最後の付き人を務めさせていただきとても誇らしく思
い、色々と学ばせて頂きました。会長のご冥福をお祈りいたします」
佐々木健介・北斗晶
「アントニオ猪木さんの訃報を聞いて言葉がありません。
新日本プロレス時代にお世話になり、北朝鮮での平和の祭典で北斗晶と出会わせて頂きました」
「退団してからも20周年にはプロレス成人式。
そして引退してからも心温まるメッセージを色紙に書いてくださりました。
感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
謹んで追悼の意を捧げさせていただきます」
「私達が結婚し子供達を授かり、笑顔で暮らしているのは猪木さんのお陰です」
古舘伊知郎
「猪木さんは病の苦しさと闘い続けて来ました。最後に会いに行ったのはこの前の火曜日でした」
「あまり喋れなくなっていましたが、ベッドのかたわらに居ると、急に目を開けて『明日仕事早いの?』と、気遣ってくれました。
最後まで猪木信者に気遣いを忘れない人でした」
「猪木さんがいなくなった世界はとてもさびしいです」
大仁田厚
「偉大なプロレス界の父 猪木さん ありがとうございました 心から哀悼の意を表します」
WWE
「日本のプロレス史上、最も重要な人物であるアントニオ猪木さんは、スポーツエンターテインメントで最も尊敬された人で、故郷では正真正銘の伝説だった」
「プロレス界の素晴らしい大使でもあった」と称賛した。
「WWEは、四角いリングの伝説の家族、友人、ファン、プロレス界全体に対し、心からのお悔やみを申し上げます」
K-1 武尊
「アントニオ猪木さん
僕が一番最初に強さへの憧れを持ったのは
猪木さんの異種格闘技戦の試合のビデオでした。
あなたのお陰で今の日本格闘技界があって
僕は今闘えています。
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。」
青コーナー 燃える闘魂 アントニオ猪木
ありがとうございました。
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