TOP > 闘魂Vs王道 > 長州の乱 天龍の陣
  第一幕 反逆
第二幕 進攻
第三幕 原点回帰
第四幕 改革
第五幕 野望
第六幕 再会
第七幕 別離
第八幕 ど真ん中
最終幕 伝説
 

二つの革命がプロレス界を大きく変えた

負けたくない闘争心の塊の長州
そしてその戦いを通して感化され、ありとあらゆる戦いに挑んだ天龍

これは、そんな野望を持った二つの革命児の戦いの歴史である。
 

 
< 第一幕 反逆 >

 1982年10月8日  新日本プロレス 後楽園ホール


「藤波!俺はお前の噛ませ犬じゃない!
なんで俺がお前の下なんだ。
なんで俺がお前の前を歩かなきゃ
いけないんだ!」

「俺とお前とどこが違う。お前はチャンスを与えられただけだ。
勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!」


 

長州力が革命戦士と言われる原点とも言える名言!!
長州はこの日の試合で藤波よりも先にコールされた事に対して
リングアナウンサーにクレーム。
試合前から藤波との間に不穏な空気が流れ、試合終了後に爆発した。

藤波長州名勝負数え歌


 
 

1982年10月22日 広島県立体育館 新日本プロレス

藤波辰巳

20分34秒
ノーコンテスト

長州力

1982年11月4日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

12分8秒
反則

長州力

×

1983年4月3日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

16分39秒
体固め

長州力

1983年4月21日蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

12分8秒
リングアウト

長州力

1983年5月8日 IWGPシリーズ

アントニオ猪木
○ハルク・ホーガン

片エビ固め

×長州力
キラーカーン

×

1983年5月15日 IWGPシリーズ

○アントニオ猪木
坂口政二

体固め

×長州力
キラーカーン

 

1983年7月7日大阪府立体育会館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

×

藤波辰巳

16分29秒
反則勝ち

長州力

1983年8月4日蔵前国技館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

19分24秒
リングアウト

長州力

×

1983年9月2日福岡国際センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

12分51秒
両者リングアウト

長州力

1983年9月21日大阪府立体育会館 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

19分24秒
両者リングアウト

長州力

1984年2月3日札幌中島体育センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

試合不成立
★藤原乱入

長州力

1984年5月18日 
IWGPシリーズ

アントニオ猪木

逆さ押え込み

長州力

×

1984年6月10日静岡産業館 
IWGP公式リーグ戦

×

藤波辰巳

14分42秒
リングアウト

長州力

1984年7月5日 大阪府立体育会館 

藤波辰巳

9分46秒
反則勝ち

長州力

×

1984年7月20日札幌中島体育センター 
WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

藤波辰巳

15分8秒
体固め

長州力

×

1984年8月2日 蔵前国技館

アントニオ猪木

グランドコブラ

長州力

×

ここまでの藤波辰巳Vs長州力 シングル12戦 
< 藤波 4勝 長州 4勝 引き分け 4戦 >

< 第二幕 進攻 >

ここで長州率いる革命軍が、全日に戦場を移す

1984年12月

 ジャパンプロレス勢11名が全日本プロレスの大会を観戦
そのまま試合後にリング乱入




長州維新軍 Vs 全日プロレス
 

1985/01/03 全日本プロレス

長州力
アニマル浜口


  ラリアート
 

天龍源一郎
大熊元司

×

1985/01/06 全日本プロレス 85 激突!! オールスター・ウォーズ

長州力
谷津嘉章
寺西勇

無効試合

ジャンボ鶴田
天龍源一郎
石川敬士

1985/01/17 全日本プロレス 85 激突!! オールスター・ウォーズ

×

マサ斉藤
谷津 嘉章
キラーカーン

13分33秒
反則

ジャイアント 馬場
ジャンボ鶴田
グレートカブキ

1985/02/01 全日本プロレス 85 激突!! オールスター・ウォーズ

小林邦昭

14分50秒
両者
リングアウト

タイガーマスク

長州力
谷津嘉章

無効試合

ジャンボ鶴田
天龍源一郎

1985/02/05 全日本プロレス 85 激突!! オールスター・ウォーズ

長州力
マサ斉藤

両軍
リングアウト

ジャンボ鶴田
天龍源一郎

1985/02/21 ジャパンプロレス

長州力 リングアウト 天龍源一郎 ×

1985/04/13 全日本プロレス 85 激烈!! スーパー・パワー・ウォーズ

○長州力
谷津嘉章
キラーカーン
10分41秒
体固め
天龍源一郎
石川敬士
×マジックドラゴン
×

1985/06/21 全日本プロレス スペシャル IN 武道館
インターナショナル・ジュニアヘビー級選手権試合

小林邦昭  11分29秒
網打ち式
原爆固め
タイガーマスク ×
× 長州力  反則 天龍源一朗

1985/08/31 全日本プロレス 85 決戦!ダイナマイト・ウォーズ
インターナショナル・ジュニアヘビー級選手権試合

× 小林邦昭  5分36秒
猛虎原爆固め'85
タイガーマスク

1985/11/04 全日本プロレス

長州力 引分け ジャンボ鶴田

1986/01/28 全日本プロレス 86 ニューイヤー・ウォーズ
インターナショナルタッグ選手権

× 長州力
×谷津嘉章
パワーボム ジャンボ鶴田
○天龍源一郎

1986/02/05 全日本プロレス 86 ニューイヤー・ウォーズ
インターナショナルタッグ選手権

長州力
○谷津嘉章
原爆固め ジャンボ鶴田
×天龍源一郎
×

1986/03/13 全日本プロレス 86 エキサイティング・ウォーズ
全日 VS ジャパン 対抗戦

仲野信一 8分12秒
逆さ押さえ込み
百田光雄 ×
× 保永昇男 8分25秒
体固め
ロッキー羽田
× 栗栖正伸 ジャーマン
スープレックス
サムソン冬木
小林邦昭  両者
リングアウト
石川敬士
キラーカーン  ニードロップ マイティ井上 ×
× アニマル浜口  フライング
ボディーシザースドロップ
ジャンボ鶴田
長州力 2分25秒
体固め 
タイガーマスク ×
谷津嘉章  時間切れ 天龍源一郎

1986/09/03 全日本プロレス

×

長州力

 反則 天龍源一朗

1986/10/20 全日本プロレス
猛虎7番勝負第1戦

谷津嘉章

14分6秒
片エビ固め

タイガーマスク

×

1986/12/09 全日本プロレス

○長州力
谷津嘉章

体固め

ジャイアント馬場
×タイガーマスク

×

1987/1/24  横浜文化体育館 インターナショナル・タッグ選手権 

○長州力
谷津義章

片エビ固め
17分56秒

ジャンボ鶴田
×天龍源一郎

×

1987/02/05 全日本プロレス 87 新春ジャイアント・シリーズ
インターナショナルタッグ選手権

×

長州力
×谷津嘉章

ジャーマン
スープレックス

○ジャンボ鶴田
天龍源一郎

全日本に参戦した長州を、馬場はそのファイトスタイルから「シャム猫の喧嘩」と比喩していたが、

長州の登場で、これまで対外人との対決だけを行ってきた全日本が活性化され
やがて天龍革命へとつながった事

また同じ時期に新日本と全日本の外人引き抜き戦争も勃発し、
新日本が育てあげたハンセンやベイダー・キッドがその後の全日本マットを支えた事は、

全日本にプラス以上のものをもたらしたのは史実明白であった。

勝敗 (1戦)
長州力 0-0 (1引分) ジャンボ鶴田

長州軍が獲得したタイトル

インターナショナルタッグ 長州力・谷津善彰
PWFヘビー級 長州力
インターナショナルJrヘビー級 小林邦明

勝敗 (4戦)
長州力
谷津善彰
2-2 ジャンボ鶴田
天龍源一郎
勝敗 (3戦)
小林邦明 1-1 (1引分) 三沢タイガーマスク
勝敗 (2戦)
谷津善彰 1-0 (1引分) 天龍源一郎

 

< 第三幕 原点回帰 >

 
 
 

1987年4月27日

両国国技館での猪木vsマサ斉藤戦に際し、
試合後長州はリングサイドから猪木、藤波に宣戦布告




1987年5月13日

長州力が札幌大会に乱入
新日参戦を強行突破


1987年6月1日

長州が愛知県体育館で2年8ヶ月ぶりに新日マット正式復帰

 1987年6月12日  新日本プロレス 両国国技館

長州
「藤波、俺たちは自分たちの時代を作るために3年間、叫んできたんだぞ!」

長州
「前田、お前は噛みつかないのか!?今しかないぞ、俺たちがやるのは!」



猪木
「会場のみなさん聞いてくれ! てめえらいいか! その気で来るんなら俺が受けてやるぜ!」

長州
「ようし!やったろう!」

猪木
「てめえらの力で勝ち取ってみろ このヤロー」

前田
「ごちゃごちゃ言わんと、誰が一番強いか決めたらええんや!」
 

藤波
「やるぞー」

アントニオ猪木vsマサ斎藤の試合後、
長州の呼びかけに呼応した、藤波、前田、木村、マシンらがリングへ。
一方の猪木は、マサ斎藤、坂口、藤原をナウリーダー軍に引き入れる。
それにしても、長州のシャウトは名言だった。

世代闘争『ナウリーダーvsニューリーダー』勃発

1987年8月19日 イルミネーション 両国国技館

× アントニオ猪木
坂口政二
藤原義明
星野貫太郎
武藤啓司
25分5秒
新世代軍2人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
木村健吾

1987年8月20日 両国国技館
× アントニオ猪木
×武藤啓司
体固め 藤波辰巳
○長州力
1987年9月17日 イルミネーション 大阪府立体育館
アントニオ猪木
坂口政二
マサ斉藤
藤原義明
ディック・マードック
28分8秒
旧世代軍2人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
高田延彦
×
1987年10月6日 イルミネーション 札幌月寒
× 坂口政二
藤原義明
ジョージ高野
高田延彦
武藤啓司
14分50秒
新世代軍4人残り
藤波辰巳
長州力
前田日明
SSマシン
木村健吾
1987年10月19日 富士市立富士体育館大会
× アントニオ猪木
×山田恵一
体固め 藤波辰巳
○長州力

1987年10月19日

木はパートナーXを引き連れ藤波、長州と激突
Xは若手の山田恵一

これは藤波と長州に対し完全になめた人選で
はりきる山田を長州が1分で怒りのラリアットで勝利

しかし納得いかず、猪木vs 藤波・長州のハンディキャップマッチが実現

藤波が猪木にサソリをかけたところに長州は藤波にラリアット
これで新世代は空中分解

猪木にとどめを刺すのは自分だとアピールする長州
長州から始まった世代闘争も新世代が自爆し終わった

1987年10月5日  後楽園ホール

藤波辰彌 35分5秒
ノーコンテスト
長州力

1987年10月25日  両国国技館

× 藤波辰彌 1-2 長州力


1987年11月19日
後楽園ホール
前田蹴撃事件 勃発


前田・長州の6人タッグマッチで、前田、長州の顔面を背後から蹴撃
長州を洞底骨折させ無期限出場停止処分を喰らう




1988年4月22日
飛龍革命

藤波が控え室で猪木に詰め寄り近くにあったハサミで髪を切り、
猪木に強烈なビンタ返しを行う
 

1988年5月27日  仙台宮城県スポーツセンター IWGPヘビー級選手権

藤波辰彌
※王座預かり
22分55秒
ノーコンテスト
長州力

1988年6月10日
× 藤波辰彌
木村健吾
体固め マサ斎藤
長州力
★第8代IWGPタッグ王者
1988年7月22日
× アントニオ猪木 体固め 長州力

1988年6月24日大阪府立体育会館  IWGPヘビー級王座決定戦

藤波辰彌
※第3代王者となる
8分46秒
首固め
長州力

×

1988年8月8日 IWGPヘビー級選手権
藤波辰彌 60分ドロー アントニオ猪木



念願の猪木からピンフォールを奪ってから、
長州の新日での対猪木、藤波抗争が終了
その証に、藤波Vs猪木の試合後に猪木を肩車して戦いをねぎらう

さらに1988年後半のイリミネーションタッグリーグで、
なんと猪木とタッグを組み、リーグ戦を優勝に導いた

1988年  イリミネーション・リーグ戦決勝戦 大阪府立体育会館

アントニオ猪木
長州力
星野貫太郎
22分55秒
ノーコンテスト
藤波辰彌
橋本真也
蝶野正洋

×

1990年12月26日 浜松アリーナ IWGPヘビー級選手権試合
藤波辰彌
★IWGP王座奪取
11分18秒
回転足折り固め
長州力 ×

1992年1月4 IWGPヘビー級&グレーテスト18クラブ両選手権試合

× 藤波辰彌 8分46秒
首固め
長州力
★IWGP王座奪取

< 第四幕 改革 >


1987年

長州力らジャパンプロレス勢が新日本プロレスにUターン移籍した後の全日本プロレスで、
天龍は全日本を活性化するためにジャイアント馬場に「阿修羅・原とタッグを組みたい」と直訴
2人のタッグは「龍原砲」と呼ばれ、「天龍革命」「REVOLUTION」が始った。



この2人の姿勢に共感した川田利明、サムソン冬木、北原辰巳、天龍の付き人の小川良成がさらに行動を
共にするようになりこの6人の軍団は「天龍同盟」と呼ばれた。

 

1987年8月31日 日本武道館 全日本プロレス

× ジャンボ鶴田 リングアウト 天龍源一郎

1987年10月6日 日本武道館 全日本プロレス

× ジャンボ鶴田 反則 天龍源一郎

1998年8月29日 世界タッグ選手権 全日本プロレス
× ×ジャンボ鶴田
谷津義章
体固め ○天龍源一郎
阿修羅原

1988年10月28日 横浜文化体育館 全日本プロレス

ジャンボ鶴田 反則 天龍源一郎 ×

1989年4月20日 大阪府立体育会館 三冠ヘビー級選手権 全日本プロレス

ジャンボ鶴田 片エビ固め 天龍源一郎 ×

1989年6月5日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権 全日本プロレス

× ジャンボ鶴田 エビ固め 天龍源一郎

1989年10月11日 横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権 全日本プロレス

ジャンボ鶴田 ウラカンラナ 天龍源一郎 ×

1990年

 馬場坂口会談で、急遽新日本の大会へ全日本出力選手の参戦決定

 1990/02 全日本プロレスにて 


「交流戦?ふざけんじゃねえよ!
これは戦争だよ。
 
【全日本プロレスには夢がない】
って言って
出てった奴(長州)と

【全日本プロレスを出てきやがって
この野郎って】
思ってる奴(天竜)が闘うんだよ。


ドームでは、俺の人生見せつけてやる!
長州にパートナーは小林
邦昭で大丈夫かって言っとけ!」

 

2.6新日本マットに、メインに"NWA世界ヘビー級チャンピオン"
リック・フレアー対グレート・ムタの対決を予定していたが
、フレアーがけがを理由に来日をキャンセル。

そこで、坂口社長が馬場社長に全日本の選手の出場を依頼。
馬場さんは「ファンを裏切ってはいけない。」と大英断。
ジャンボ鶴田、谷津嘉章、天龍源一郎、川田利明、スタン・ハンセンの派遣が
決定となり、全日対新日の夢の交流戦が行われることになった。

新日側から不沈艦対皇帝戦士、五輪コンビ対木戸・木村組、
そして天龍、川田対長州、小林邦明のカードが発表。
しかし、天龍源一郎が怒っり一言。

この発言で、お祭りムードが一変、全面戦争の様相。
馬場社長は、天龍のパートナーに当時敵対関係にあったにもかかわらず、
タイガーマスク(三沢光晴)を川田に変え指名。
長州もパートナーにジョージ高野を指名した。

 
  

1990/02/10 新日本プロレス

× 木村健吾
×木戸修
15分6秒
 体固め
○ジャンボ鶴田
谷津義章
× 長州力
×ジョージ高野
18分59秒
 リングアウト
天竜源一朗
○タイガーマスク

 

990年4月19日 横浜文化体育館 三冠ヘビー級選手権 全日本プロレス

ジャンボ鶴田 バックドロップ
ホールド
天龍源一郎

×

ジャンボ鶴田Vs天龍源一郎 シングル9戦 
< 鶴田 4勝 天龍 3勝 引き分け 2戦 >

< 第五幕 野望 >


1990年3月

天龍・ハンセンがコディ・ウイリアムに世界タッグ戦で敗北を期に、天龍とハンセンは仲間割れ
4月に天龍は「革命は完了した」として同盟の解散を宣言し川田らを全日本本隊に戻す

1990年4月19日

鶴田の保持する三冠王座に挑戦するも敗北した天龍は、
試合後「もう終わったと思ってる」とコメントし、この試合を最後に全日本を退団しSWSへ

1990年9月29日
SWS旗揚げ


 
SWSは、豊富な資金を元に既存プロレス団体から選手を引き抜くなど
『黒船』としてプロレス界に激震を引き起こした

当初UWFに対抗するプロレス団体として新日本の武藤啓司を引抜きに失敗して
全日本の天龍を引抜き、新日本と全日本の精鋭をお金の力で引き抜いた。

相撲にちなんだ部屋別制度を採用
部屋として、天龍源一郎率いる『レボリューション』、
若松市政率いる『道場「檄」』、
ジョージ高野率いる『パライストラ』の3つが置かれた。

 

 

 1990年10月18日 SWS旗揚げ戦

× ×天龍源一郎
ザ・グレート・カブキ
体固め ○ジョージ高野
高野俊二
1990年10月19日 SWS旗揚げ第二戦
天龍源一郎 体固め ジョージ高野 ×
1991年3月30日 WS レッスル・フェスタin東京ドーム
× 天龍源一郎
ハルク・ホーカ゜ン
リングアウト リージョン・オブ・ドゥーム
(ロードウォーリアーズ)
1991年12月12日 SWS スーパー・レッスルin東京ドーム
× 天龍源一郎 13分57秒
アックス・ボンバー
ハルク・ホーガン

1992年5月
SWS 活動休止


 

< 第六幕 再会 >


1992年7月14日
WAR旗揚げ

1993年
WAR天龍
新日本参戦



平成維新軍 Vs 天龍WAR

1992/12/05 新日本プロレス

× ×木村健吾
越中詩朗
青柳政司
20分42秒
片エビ固め
○天龍源一郎
阿修羅原
北原光騎

 1992/12/05 新日本プロレス


天龍
「長州!俺は峠を越えたぞ!
猪木さん!猪木さん!
上がって下さい!
長州!1・4やるしかないだろ!」

猪木
「やるんだったら歴史に残るような試合をやってくれ!
 ドームで勝った方に俺が挑戦してやる!」
 

天龍の新日マット初登場 で反選手会から勝利後、
天龍は長州・猪木をリングに呼込み宣戦布告

新日本プロレス Vs 天龍WAR
1993/1-1996/4
61試合 新日本36勝 天龍WAR25勝
※平成維新軍や長州・天龍のタッグは除く

1993/01/04 新日本プロレス
「FANTASTIC STORY in 闘強導夢」

× 長州力 18分14秒
片エビ固め
天龍源一郎
藤波辰爾 飛龍裸絞め 石川敬士 ×
野上彰
○飯塚孝之
エル・サムライ
15分11秒
体固め
平井伸和
×折原昌夫
北原光輝
×

1993/01〜02 新日本プロレス
「ファイテングスピリット93」

× 武藤啓司
橋本真也
×野上彰
体固め ○天龍 源一郎
石川敬士
阿修羅原
藤波辰爾
橋本真也
9分56秒
片エビ固め
石川敬士
×北原光騎
×

1993/2/14 WAR 「Great History」

× 藤波辰爾
×馳浩
18分33秒
パワーボム
○天龍源一郎
石川敬士
長州力 5分31秒
ラリアット
阿修羅原 ×
○越中詩郎
木村健吾
13分33秒
パワーボム
冬木弘道、
×北原光輝
×
青柳政司 8分4秒
ニールキック
平井伸和 ×

1993/02/16 新日本プロレス
「ファイテングスピリット93」

藤波辰爾
長州力
木戸修
馳浩
飯塚孝之
2−0
@○長州×石川
A○長州×北原
天龍 源一郎
石川敬士
阿修羅原
冬木弘道
北原光騎
×

1993/02/14 WAR
「Great History」

×   藤波辰爾
×馳浩
18分33秒
 パワーボム
○天龍源一郎
石川敬士
長州 力 5分31秒 
ラリアット
阿修羅原 ×
木村健吾
○越中詩郎
13分33秒 
パワーボム
冬木弘道
×北原光騎
×
青柳政司 8分4秒
 カウンターのニールキック
平井伸和 ×

1993/03/23 新日本プロレス

× 長州力
×藤波辰彌
13分26秒
片エビ固め
○石川孝志
天龍源一郎
橋本真也 体固め 冬木弘道 ×
1993/4/2 WAR
藤波辰爾 ドラゴンスリーパー ザグレートカブキ ×
長州力
〇橋本真也
体固め 天龍源一郎
×石川隆志
×
〇越中詞朗
木村健吾
小林邦明
斎藤彰俊
パワーボム 阿修羅原
冬木弘道
〇北原光騎
SSマシン
〇獣心サンダーライガー
エルサムライ
片エビ固め ウルティモドラゴン
×折原昌夫
×
1993/05/24 WAR
〇藤波辰彌
橋本真也
ドラゴンスリーパー ×石川孝志
天龍源一郎
×

1993/04/24 新日本プロレス
「マグネチュードX」

長州 力 体固め 天龍源一郎 ×

1993/06/15 新日本プロレス
「イルミネーションマッチ」

藤波 辰彌
長州力
馳浩
蝶野正洋
橋本真也

  @○天龍×馳  
  A○藤波×天龍
  B○石川×藤波
  C○長州×後藤
  D○橋本×原
  E○橋本×マシン
  F○蝶野×石川

天龍源一郎
石川隆志
阿修羅原
SSマシン
後藤達俊
×

1993/06/17 新日本プロレス

× 橋本真也 パワーボム 天龍源一郎
グレートムタ 11分59秒
片エビ固め
阿修羅・原 ×

1993/07/14 新日本プロレス

藤波辰彌
○蝶野正洋
16分54秒
STF
天龍源一郎
×阿修羅原
×

1993/08/02〜08/07 新日本プロレス 
「GIクライマックス」

× 藤波辰彌
×獣心サンダーライガー
10分28秒
片エビ固め
○天龍源一郎
北原光騎
× 藤波辰彌
橋本真也
×蝶野正洋
18分9秒
片エビ固め
○阿修羅原
天龍源一郎
石川孝志
× 飯塚孝之 12分10秒
岩石落し固め
冬木弘道
蝶野正洋 12分28秒
STF
阿修羅原 ×
木戸修 11分33秒
脇固め
石川孝志 ×
蝶野正洋 19分04秒
STF
冬木弘道 ×

1993/09/20 新日本プロレス

× 藤波辰彌
×木戸修
体固め 〇天龍源一郎
冬木弘道
1993/9/2 WAR
永田裕志 11分39秒
キャプチュード
安良岡裕二 ×
× 小原道由 10分6秒
ノド輪落とし
石川敬士
馳浩 17分7秒
ノーザンライト
スープレックス
ホールド
折原昌夫 ×
ザグレートカブキカブキ
青柳正司
16分10秒
アバラ折り
天龍源一郎
×冬木弘道
×
蝶野正洋 12分11秒
STF
北原光騎 ×
1993/9/3 WAR
斎藤彰俊 13分57秒
ニールキック
平井伸和 ×
馳浩 18分50秒
ノーザンライト
スープレックスホールド
北原光騎 ×
× ザグレートカブキ
小林邦明
×青柳正司
小原道由
19分42秒
ジャーマンスープレックス
ホールド
天龍源一郎
〇冬木弘道
SSマシン
折原昌夫
1993/9/3 WAR
× 青柳正司 6分32秒
ラリアート
阿修羅原
小林邦明 11分33秒
KO
北原光騎 ×
× 蝶野正洋
×馳浩
15分44秒
エビ固め
〇天龍源一郎
石川隆志
1993/9/6 WAR
小原道由 12分11秒
ノド輪落とし
平井伸和 ×
○ザ・グレート・カブキ
小林邦昭
15分55秒
ラリアット
×北原光騎
ウルティモ・ドラゴン
×
× 蝶野正洋
馳浩
×永田裕二
17分29秒
フィッシャーマンズ
スープレックスホールド
〇天龍源一郎
阿修羅原
冬木弘道
1993/9/9 WAR
× 永田裕志 12分40秒
パワーボム
折原昌夫
× 小林邦明 9分58秒
リングアウト
小林邦明 ×
蝶野正洋 15分10秒
STF
冬木弘道 ×
1993/9/12 WAR
× 大谷晋一朗 13分16秒
ジャーマン
スープレックホールド
折原昌夫
馳浩 18分9秒
裏投げ
冬木弘道 ×
× 木戸修 12分19秒
ラリアット
阿修羅原
× 蝶野正洋 14分38秒
パワーボム
天龍源一郎

1993/09/20 新日本プロレス

× 藤波辰彌
×木戸修
体固め 〇天龍源一郎
冬木弘道


 

1993/05/03 福岡ドーム 新日本プロレス

アントニオ猪木
○藤波辰彌
逆さ押え込み 天龍源一郎
×長州力
×


 

1993/09/26 新日本プロレス

藤波辰彌 9分32秒
寝技式あばら折り
天龍源一郎 ×

1993/10/11 WAR

× 藤波辰彌
×木戸修
13分31秒
エビ固め
○天龍源一郎
阿修羅原

1993/12/15 WAR

× 藤波辰彌 14分14秒
エビ固め
天龍源一郎

 

1994/01/04 新日本プロレス

× アントニオ猪木 15分56秒
パワーボム
天龍源一郎

 

1995/05/03 福岡ドーム 新日本プロレス

○アントニオ猪木
北尾浩司
体固め 天龍源一郎
×長州力
×

1994/02/17 新日本プロレス

橋本真也 15分4秒
エビ固め
天龍源一郎 ×

1994/01/14 WAR 「SUPER REVOLUTION'94」

×  越中詩郎 10分28秒
  ラリアット
天龍源一郎
○青柳政司
 小原道由
14分42秒 
左ハイキック
平井伸和
×安良岡 裕二
×

1994/12/13 新日本プロレス 藤波の3000試合出場記念試合 大阪府立体育会館

藤波辰彌 5分39秒
グラウンド
コブラツイスト
長州力 ×

新日本VsUWFインターナショナル 全面抗争勃発

 1995/08/24 新日本プロレス事務所


「すぐにドームを押さえろ!高田がやるって言った。
もうルールなんかで出来ないなんて言わせない!」


「もう逃がさないからな。ドームでUを
消してやる!」

 

長州は、高田と電話でUインターとの全面対抗戦を電撃決定した直後に

前哨戦 壮絶ケンカマッチ

1995/9/23 横浜アリーナ G1クライマックススペシャル 新日本プロレス

× 長州力
×永田裕志
10分6秒
腕ひしぎ
逆十字固め
安生洋二
○中野龍雄

1995年10月9日
Uインター全面対抗戦

1995/10/09 東京ドーム 新日本vsUインター 全面戦争 新日本プロレス

長州力 4分45秒
サソリ固め
安生洋二 ×
永田裕志
○石沢常光
10分47秒
三角締め
金原弘光
×桜庭和志
×
大谷晋二郎 7分18秒
チキンウイング
フェースロック
山本健一 ×
× 飯塚高史 7分39秒
腕ひしぎ
逆十字固め
高山善廣
× 獣神サンダーライガー 10分14秒
タイガー
スープレックス
佐野直喜
× 佐々木健介 9分13秒
ヒザ十字固め
垣原賢人
橋本真也 7分20秒
三角締め
中野龍雄 ×
武藤敬司 16分16秒
足4の字固め
高田延彦 ×

 

1996/03/26 新日本プロレス

○藤波辰彌
越中詩朗
ドラゴン
スリーパー
天龍源一郎
×荒谷信孝
×

1996/04/29 新日本プロレス 「’96 BATTLE FORMATION」

× 藤波辰彌 9分16秒
エビ固め
天龍源一郎

 

藤波辰彌vs天龍源一郎 の勝敗

シングル3戦 藤波1勝 天龍2勝
タッグマッチ直接対決1戦 藤波1勝 天龍0勝
合計 藤波2勝 天龍2勝

※2010年9月リアルジャパンにて、藤波と天龍はタッグで激突し、
天龍が藤波をフォール勝ちしているが、
この試合はレジェンドマッチなので勝敗から省きます。


天龍(WAR)の戦いの幅が広がる。
UWFインター、山崎、ターザン後藤と激突

1996年5月26日 横浜文化体育館

×

中野龍雄 エビ固め

天龍源一郎

1996年7月20日 WAR 横浜文化体育館 WAR認定6人タッグ決定トーナメント

×

山崎一夫
×木戸修
飯塚高史

11分53秒
片エビ固め
〇冬木弘道
邪道
外道

〇高田延彦
垣原賢人
佐野友飛
16分40秒
腕ひしぎ逆十字固め
天龍源一郎
×荒谷信孝
藤波辰爾

×

〇高田延彦
垣原賢人
佐野友飛
12分35秒
腕ひしぎ逆十字固め
冬木弘道
邪道
×外道
×
× 長州力
小島聡
×西村修
11分23片
エビ固め
〇冬木弘道
邪道
外道
長州力
小島聡
〇西村修
10分23秒
ノーザンライト
スープレックス
安生洋二
高山善廣
×200%マシン
×

1996年7月21日 両国国技館

〇長州力
小島聡
8分34秒
リキラリアット
冬木弘道
×ビックタイトン道
×
藤波辰爾
〇越中詞朗
9分20秒
エビ固め
高田延彦
×金原弘光
×
× 垣原賢人 8分25秒
アキレス健固め
北原光騎
× 安生洋二 11分44秒
パワーボム
天龍源一郎

1996/9/11 UWFインターナショナル 「SUDDEN DEATH」

高田延彦

19分30秒
腕折固め

天龍源一郎

×

1996年11月9日 後楽園ホール
× 山崎一夫
×飯塚高史
15分19秒
WARスペシャル
○天龍源一郎
荒谷信孝

1996/12/13 UWFインターナショナル

×

高田延彦

19分30秒
腕折固め

天龍源一郎

山崎一夫
〇飯塚高志
10分49秒
ブリザード
スープレックス
北原光騎
×荒谷信孝
×
1997年7月6日 両国国技館
× ターザン後藤 エビ固め

天龍源一郎

1997/8/10 新日本プロレス ナゴヤドーム
新日本プロレスでの藤波Vs長州最後の試合
藤波辰彌 6分48秒
ドラゴンスリーパー
長州力 ×

1997/12/24 WARプロレス 「日本J1選手権決定トーナメント」

× 藤原嘉明
(藤原組)
体固め 天龍源一郎

長州力 一度目の引退

1998/1/4 新日本プロレス 長州力引退試合五人がけ

長州力 3分57秒
体固め
×藤田和之

×

1分42秒
片エビ固め
×吉江 豊
1分21秒
サソリ固め
×高岩竜一
2分2秒
アキレス腱固め
〇飯塚高史
5分9秒
体固め
×獣神サンダー・ライガー

 

1998/08/08 新日本プロレス 日本J1選手権

×

橋本真也

14分12秒
エビ固め

天龍源一郎

1999/06/08 新日本プロレス 」

×

橋本真也

14分11秒
片エビ固め

天龍源一郎

1999/12/10 新日本プロレス IWGPヘビー級選手権試合

×

武藤敬司

 26分32秒
エビ固め

天龍源一郎

2000/01/04 新日本プロレス 「闘強導夢2000」 IWGPヘビー級選手権試合

佐々木健介

14分43秒
体固め

天龍源一郎

×

 

 

 

邪道大仁田新日参戦

 2000/05/22 新日本プロレス 海老名大会の試合前の練習中 


「 どうしたんだ?怖くなって気でも狂ったか?心配するな。横浜には行ってやるから  」

大仁田  「 そんなこと心配しとらんですよ! 」

「またぐなよ!」

「またぐなよ!」


「 詩郎まだがせるなよ 」

 

練習中だった長州に大仁田が歩み寄り

 2000年7月30日 有刺鉄線電流爆破デスマッチ 横浜アリーナ

長州力 7分46秒
レフリーストップ
大仁田厚 ×


 2001/04/09  新日本プロレス 「STRONG STYLE 2001」 大阪ドーム

「おい!こら!お前がいつもやってる事やってやるから上がって来い!こいこら!」
「お〜いお前の好きな会長(猪木)連れて
上がって来い!橋本もみんな。
お前らの好きな会長連れて上がって来い!」
ライガーが村上に突っかかり試合開始。しかし、村上がライガーのマスクに手をかけ、
レフェリーに暴行を加えたことであっけなく反則で試合終了。この結末に小川が暴走し
放送席の藤波社長に抗議すると、突然、「パワーホール」が鳴り響き長州が登場して
小川に突っかかる乱闘へそしてリング上にて

 

2001/06/08 全日本プロレス 三冠ヘビー級選手権

武藤敬司
(新日本プロレス)

23分24秒
体固め

天龍源一郎
(フリー)

×



 

< 第七幕 別離 >

2002年5月31日
長州力 新日本プロレス退団

現場監督として取り仕切っていた長州力だったが、
2002年2月、武藤敬司らが全日本プロレスに事実上引き抜かれた責任を取らされ監督の任から降ろされ
2002年5月に新日本プロレスの体制批判を行い退社した


2003年3月1日
横浜アリーナ 
WJプロレス 旗揚げ

2003/03/01 WJプロレス 旗揚げ戦

長州力

7分53秒
リキラリアット

天龍源一郎

×

2003/03/15 MAGMA01シリーズ

×

長州力

11分27秒
片エビ固め

天龍源一郎

2003/03/16 MAGMA01シリーズ

×

長州力

8分08秒
片エビ固め

天龍源一郎

2003/05/31 MAGMA01 MAY STORM

佐々木健介

3分42秒
ストラングルH

天龍源一郎

×

2003/6/29 電流爆破デスマッチ
× 長州力
×越中詞朗
7分50秒
体固め
○天龍源一郎
大仁田厚

 
 2003/11/19  ZERO-ONE道場


長州 「何がやりたいんだ、コラー!! 紙面を飾って、コラー!! 何がやりたいのかはっきり答えろコラー!! 噛み付きたいのか、噛み付きたくないのか
どっちなんだ、コラー!!」

橋本 「何がコラーじゃ、コラー!! バカヤロウ!!」

長州 「何、コラー!! たこ、コラー!! 
紙面を使うなって言うんだ、コラー!!」

橋本 「お前が言ったんだろうが、バカヤロウ!! 」

長州 「言ったのはテメーの方だろ、コラー!!」

橋本 「やってやるぞ。お前、死にてぇーんだろ、コノヤロー!!」

長州 「お前、今言ったな?」

橋本 「おう、言ったぞ」

長州 「今言った言葉飲み込むなよ」

橋本 「それはお前もじゃ!! なめてんのか、コラー!!」

長州 「お前、今言った事を飲み込むなよ。分かったな。ほんとだぞ。
噛み付くならしっかりと噛み付いてこいよ、コラー!! 
中途半端に言った言わねえじゃねぇぞ、お前。分かったな。
分かったな、コラ!! 」

橋本 「お前に分かったなと言われる筋合いはねえんだ、コラ!!」

長州 「噛み付くんだな、コラー!!」 

橋本 「おっさん、なめんなよ、コラー!!」

 

当時ZERO-ONEの社長であった橋本真也が他団体であるWJプロレスに
所属していた長州力をスポーツ紙の紙面上で痛烈に批判したことが
この騒動の前段階としてあった

 

2003年12月14日 ZERO-ONE "Infinity" 両国国技館

橋本真也軍

レフリーストップ

長州力軍

×

WJプロレスは、旗揚げ当初から観客動員に苦戦しギャラ未払いが生じ、
8月に鈴木健想が、9月に谷津嘉章が相次いで退団

さらに

9月6日総合格闘技イベント「X-1」開催したが、
WJプロレスでは、一度発表された興行が中止となる事態が多発
選手の専属契約の解除とリキプロへの移行

11月以降、長州自身もZERO-ONEを主戦場にハッスルなどにも参戦するようになった。

佐々木健介も12月に退団

2004年8月13日
所属選手がWJから分離して設立された『リキプロ(立石史代表)』へ移籍
事実上のWJとしての活動は停止

 

長州力vs天龍源一郎の勝敗

シングル8戦
(2戦は長州の反則負け)
長州3勝 天龍5勝
タッグマッチ直接対決1戦 長州1勝 天龍0勝
合計 長州4勝 天龍5勝
反則を除いた場合 長州4勝 天龍3勝

  < 第八幕 ど真ん中 >

2004年10月9日
新日本プロレスのど真ん中に再び
新日と猪木を徹底的に批判して去った長州力、しかし猪木は再度現場監督に長州を指名!
 

 2004/10/9 新日本プロレス 「PRO-WRESTLER'S BE STRONGEST」

長州「新日本のど真ん中に立ったぞ!」


「永田、よく(リングに)上がって
きたな、お前だけ。
さすが、天下を取り損ねただけある。
中の人間が信頼されず、
外に出た人間がど真ん中に立った

こと(の意味)を考えろ。

罪を背負うのはどっちだ。

次に立つ時は、オレのパワーホール全開で
立つ!」

リングを降りた長州は最後に一言
「天下を取り逃しただけあるな。
もうひとつ見せてやる」
と捨てセリフ 

さらに一歩遅れた天山やライガーに
「おい、お前たち! 反応が遅すぎるんだよ」

長州が突如、リングイン。マイクを手に取り新日本への逆上陸を宣言。

 

2004年2月15日 両国国技館

天竜源一郎

片エビ固め 棚橋弘至

×

2004年3月21日 尼崎市記念総合体育館

天竜源一郎

片エビ固め 安田忠夫 ×
2004年8月7日 相模原市立総合体育館

天竜源一郎

片エビ固め 鈴木みのる ×
2004年8月10日 愛知県体育館

天竜源一郎

片エビ固め 中邑真輔 ×
202004年11月13日 大阪ドーム

天竜源一郎

片エビ固め 柴田勝頼 ×

天龍 NOAH上陸

2005年4月17日 博多スターレーン

○天竜源一郎
森嶋猛

片エビ固め ×井上雅夫
斎藤彰俊

×

2005年4月24日 日本武道館

○天竜源一郎
秋山準

エビ固め 小橋健太
×塩崎豪
×
2005年9月11日 後楽園ホール

天竜源一郎

体固め マグナムTOKYO ×
2005年10月8日

天竜源一郎

エビ固め KENTA ×
2005115 日本武道館

×

天竜源一郎

14分27秒
ランニング
エルボー
三沢光



 

 < 最終幕 伝説 >


2010年3月18日 リアルジャパンプロレス

×

天竜源一郎

12分1秒
チキンウィング
フェースロック

初代タイガーマスク

2010年4月19日
天龍プロジェクト』
天龍源一郎が自身が最後のプロレス団体として旗揚げを発表



2010年10月20日
レジェンドプロレスリング』
藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスクが発表したプロレス興行

2015年2月9日
天龍 年内11月 
引退発表

 2015年2月9日 引退会見の席上で


「あの野郎だけは絶対に許せん。
あんなアマゾン川のデンキウナギみたいなヤツにあれこれ言われたくないよ。
絶対に殴ってやる」

「俺だけじゃなく馬場さんや猪木さんの時代もコケにされたわけだから、黙ってられないだろう。すぐウチの代表を通じて『文句があるならいつでもやってやるよ、コンチクショー』と新日本にメッセージを送ったが、結局、なしのつぶてだった。カーッ、あの野郎」


「そんなにすごいなら俺と戦って試してみろよ。やるとなれば顔の形が変わるまでボコボコに殴ってやるぞ、コノヤロー」とオカダとの戦いに闘志を燃やした天龍。

 

会見席上で、大人げないプロレスラーへと表情を一変させた。 

話が一昨年のオカダの「暴言」に及んだ時だ。

 オカダの受賞コメントが「猪木、鶴田、天龍は俺と同じ時代じゃなくて
良かったなと思いますね。俺と同じ時代じゃ連続受賞なんて無理でしたし」
というものだった。


オカダは2012、13年の東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVPを
2年連続で受賞。

天龍が記録した3年連続(1986〜88年)の快挙には及ばなかったが、
天龍以来25年ぶり4人目の連続MVPを達成した
(あと2人はアントニオ猪木、ジャンボ鶴田)。 

発言から1年2か月が経過した今でも、オカダに対する天龍の怒りは消える
どころか増幅する一方だ。

 会見では後進育成について「今のプロレスには天龍源一郎は古いタイプだからそぐわないと思います」と丁寧に答えていたが、リング上の戦いとなれば話は違う。


果たして11月の引退試合までに、昭和のMVP男と平成のMVP男の初激突は
実現するのか。ミスタープロレスは最後の最後までハチャメチャに突っ走る

 

2015年6月13日 NOAH〜三沢光晴メモリアルナイト2015〜

天竜源一郎
○高山善廣
小川良成

15分37秒
エベレスト
ジャーマン
丸藤正道
永田裕志
井上雅央×

×

2015年9月2日 

天竜源一郎
柴田勝頼

20分26秒
PK
鈴木みのる
飯塚高史×

×

天龍源一郎 最終興行 〜天龍源一郎 引退〜 革命終焉 Revolution FINAL
2015年11月15日 

×

天竜源一郎

17分27秒
レインメーカー
オカダカズチカ

 2015年11月15日 試合終了後


「プロレスはね、彼と戦って、
しっかりしていると思いましたよ。
彼のプロレスは、一歩一歩、
新しいものへ、今日はいいものを
受けました。
ラリアットもシャープで。
いいのをもらいました。
こんなことを言うのは癪だけど、
最後にいい相手と戦えました」

「そうですね。やっぱり、
今日来てくれたファンクスも
そうですけど、
やっぱり馬場さんもそうですし、
鶴田選手もそうですし、
志半ばで僕みたいに最後まで
できなかった人を思いましたね。
俺はリングに立ってみんなから
拍手をもらえたので。
それだけで幸せだと思いました」
 

 




2019年6月26日
長州力ラストマッチ
心に刻め、ファイナルパワーホール

POWER HALL 2019 New Journey Begins

×

×長州力(リキプロ)
越中詩郎(フリー)
石井智宏(新日本プロレス)

17分29秒
キングコング
ニードロップ
藤波辰爾(ドラディション)
武藤敬司(W-1)
〇真壁刀義(新日本プロレス)


 試合終了後


「どうも長い間45年間、
プロレスファンに応援されながら
ここまで来ることができました。

私にとってプロレスは何だった
のかなと振り返りますに、
すべてが勝っても負けても
私自身はイーブンです。

本当にイーブンです。

ただ、
今からひとつだけお願いがあります。

どうしても勝てない人間がいました。
それは今日見に来てくれた
家内の英子です。

彼女をこのリングに上げてください」

英子夫人がリングに上がり抱きよせる


「もう私はここまでです。
もう止まります。
今からUターンして
家族の下に帰ります」

 


そして 控室のインタビューで
最後の最後に師匠である猪木への思いを語った。

 「やっぱり、一番最大、気持ちの中で残っているのは
やっぱり会長である猪木会長のことがやっぱり、
この6月26日という日にちが決まってから常に毎日、
頭のどこかで1回は猪木会長の顔、
名前っていうのが頭の中に浮かびますよね」

 「やっぱり45年間、ここまで成長できたのは自分自身、
猪木会長のとてつもない、猪木会長とは違いがあるんですけど、
リングの中であの方をずっと見てきて、
プロレスっていうものが分かってきてあぁ大変だなこれはっていうのは、
やっぱり常に感じてここまでやってきてますね。
でも、それでも、とてもじゃないが、
やっぱりリングの中のアントニオ猪木に近づくっていうことは、
とてつもなく大変なことなんだなっていう」





 「これは本当に終わった時点の中で
この業界でここまでファンの皆さんに支えられながらやって来れたのは、
ひとえにあの人を見て自分なりの感じ方で自分というものは、
プロレスは、こういうものだよって。

いつまでやるか分からないけど、
あの人は教えることはしないですけど、
リングサイドから我々には、ここにいる古い記者の人は、
多分、知っている通り、

猪木会長の場合は、あの方が会場の雰囲気を作るというか、
ファンの人たちが後押しするわけじゃなくて。
やっぱり凄いなって、その時代、
マスコミは馬場さんと比べたでしょうけど、
馬場さんも素晴らしい人でした温厚で」

 「でも、自分が選んだのはプロレスの世界ですから、
どっちかというと自分の性分からすれば、
猪木会長のリングの中の、リングを下りてからも猪木さんの姿勢。

本当にこの人、プロレス24時間考えている、
やっているっていうようなことを感じてきましたよね。



まぁ到底及ばないですけど、
プロレスに大事なものを自分なりに自分なりにこう考えながら、
あのリングの中に打ち出してきたんじゃないかなと思っているんですけど、
どうなんですかね?やっぱり答えがないですから、
でも、その時代の猪木さんは、
猪木さんが会場の中を1人で雰囲気を作ってファンを引き寄せていましたよね」

 「ボクなんか現場もやりましたけど、
なかなかそこまではできなかったですね。
やっぱり凄い方です。はい、そういうことです」

 「藤波さんも今日はちょこっと触らせて頂いたんですけど、
藤波さんもどっちかというと、ずっと会長に付いてきた人ですから、
まぁ表現の仕方は、別にして彼もそうなんじゃないかなと思いますよ。

これはボクもちょっと分からないところでしょうね。
まぁでも、最後まで本当に悩みましたよ。

猪木さんを呼ぼうっていうね。

猪木さんを呼んで雰囲気作りをしてもらおうかなって
いう部分もありましたけど、
今日は最後で自分の集大成としてどういう状況になるのかなって。

まぁでも熱い声援でファンの熱い声援でリングに
押し出してくれて感謝していますよ。
はい、以上です。どうもありがとうございました」
 

完結




  

全ての関連試合を掲載しているわけではありません。
こうして編集していく事で、二人の生き様の凄さを改めて感じております

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